またたびCINEMA〜みたび〜

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言論弾圧?田母神氏の開き直り発言

日中戦争は侵略ではなかった」と論文で発表して、航空幕僚長を辞めさせられた田母神氏には正直言って、それ程関心はなかった。しかし、参院防衛委員会終了後の記者による囲み取材の発言を聞いて唖然とした。
「言論、思想・良心、表現、学問の自由があり、村山談話といえどもこれを制約することは出来ない」「村山談話の正体が今回わかった。言論弾圧の道具だ、あれは」
第二次世界大戦侵略戦争だったと認めた村山談話を、政府はずうっと公式見解としてきた。言うに事欠いて、「言論弾圧」を持ち出してくるとは!シビリアン・コントロールをどう認識していたのか?
事実を直視できないロマンチストなのだろうか?退官したあとは自由人なのだから、どうぞご自由に自説を展開すればいい。「言論弾圧」をするのは権力側であり、自分もその中にいたことをお忘れなく。


シビリアン・コントロールについて今朝の天声人語が書いていた。文官のA級戦犯として唯一処刑された、広田首相の犠牲について言及している。
その広田弘毅を取材した『落日燃ゆ』の作者城山三郎は、晩年「個人情報保護法案」を言論統制に繋がるとして、強行に反対した。城山さんはボケたんじゃないか、とまで言われるほどだった。城山さんが生きていたら、何と言っただろう。
筑紫さんが生きていたら、どう斬ってくれただろうか?

雷が落ちたかのように驚いたと、去年亡くなった宮沢喜一元首相は回想している。日本の占領時代、帝王のように君臨していたマッカーサー元帥が、トルーマン大統領に解任されたときの話だ▼朝鮮戦争をめぐっての、米政府の政策を顧みない言動が、解任の理由だった。帝王より偉い人物がいることに日本人は驚く。「シビリアン・コントロール文民統制)とはこういうものか」と若き宮沢は目を開かれる思いだったらしい▼軍隊を文民政治家の指揮下に置く仕組みは、民主国家の原則とされる。それを軽んじる、横着な空気が自衛隊にあるのではないか。航空自衛隊トップの「論文問題」に、封印したはずの「戦前の臭(にお)い」を嗅(か)いだ人は少なくなかっただろう▼その前航空幕僚長への参考人質疑が国会であった。先の戦争についての、政府見解に反する論文への反省は聞かれなかった。「武器を堂々と使用したいのが本音か」の問いには、「そうすべきだと思う」。あれこれ答弁を聞けば、5万の隊員を束ねる人として、不適切と見るほかない▼昭和の旧軍は、「政治に拘(かかわ)らず」の軍人勅諭に背いて横車を押しまくった。ついには政治をほしいままにして戦争に突き進んだ。時代が戻るとは思わないが、武装集団に妙な政治色が透けるようでは国民は不安になる▼ところで今日は、戦争犯罪を裁いた東京裁判の刑の宣告から60年になる。文官では元首相の広田弘毅ひとりが極刑になった。軍に抗しきれなかったとされる宰相の悲運は、文民統制なき時代の暗部を伝えてもいる。