またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

『この自由な世界で』

It's a free world.../Ken Loach/2007/イギリス他


In a world where anyting possible, it't easy to lose everything
(何でもまかり通る世界では、容易にすべてを失ってしまう。)

恐るべしケン・ローチ。前作『麦の穂を揺らす風』で容赦のないアイルランド哀史を語ったかと思うと、新作『この自由な世界で』では、現代イギリスの移民労働問題に切り込んでいる。
そのあまりのリアルさに、震える程の恐さを感じた。監督と脚本のポール・ラヴァティは、イギリスで移民労働者が搾取される仕組みを、本当に詳しく調べている。

渋谷の映画館は、単館ロードショーのせいもあるが、満席だった。こんな地味な映画で何故?もしかして、『蟹工船』が脚光を浴びているのと同じ理由?
昨今の日本では、派遣労働などの労働形態の多様化(と聞こえはいいが、賃金のピンハネ)によって、ネット・カフェ難民やワーキング・プアなる現象が生じている。
この映画の様な移民の問題も、わずかながら表面化してきている。技能習得の名の下に、中国などからの若者を破格の安い賃金で働かせる制度がある。来日の際にブローカーが大金を着服している例もあり、殺人事件も発生した。


ケン・ローチとラヴァティは、イギリスの労働市場の問題を告発しているのだが、私はこの映画に、日本の格差社会の状況を重ね合わさずにはいられなかった。世界全体を巻込んだ、まさにグローバルでタイムリーな問題といえる。
労働者階級出身で、オックスフォード出のケン・ローチ監督は、いつだって弱者の側に立って映画を作って来た。しかし、今回は弱者がそのまた弱者を搾取する話である。
いつもと違う、一歩踏み込んだ内容に、胸を揺さぶられた。


主人公アンジー(キルストン・ウェアリング)は、働くシングル・マザーである。両親に預けている息子を。一日も早く引き取りたいと願っている。
出張先のポーランドで、上司のセクハラに抗議して会社を首になってしまう。会社の理不尽な仕打ちに怒ったアンジーは、ルームメイトのローズ(ジュリエット・エリス)を誘って、事業を始める決心をする。ローズも学歴はあるのに、コールセンターの仕事に甘んじていた女性である。
以前の会社の東欧などから労働者を募るノウ・ハウと、ローズの知識を元手に、アンジーは無謀ともいえる仕事に着手する。

アンジーは持ち前のバイタリティで、バイクにまたがり、労働者のリクルートや営業に朝から晩まで走り回る。行きつけのパブの裏庭の空地を借りて、労働者の集合、振分け場所にする。
パブのアンディ役を演じるレイモンド・マーンズが愉快だ。コメディアンだけあって、シリアスな内容のこの作品の緊張を和らげてくれている。


税金を胡麻化した違法なやり方だったが、仕事は軌道に乗り始める。
朝と昼の工場のシフトを利用し、宿泊場所に倍の人員を寝泊まりさせるという荒技で大儲けをする。
そんな彼女も、違法移民のイラン人の家族に同情するやさしさも垣間見せる。根っからのワルというわけではない。しかしこれがきっかけで、偽造パスポートで移民を働かせることまで始めてしまう。

しかし、斡旋先から報酬を取り損なったアンジーたちに窮地が訪れる。賃金を払わず、怒りをかったアンジーは、路上で襲われ、家に石を投げ込まれ、息子を誘拐される。
しかし事務所を借りるところまで行き着いたアンジーは怯まなかった。
大量の新規の契約が舞い込んだが、宿泊場所がない。切羽詰まったアンジーは、トレーラー・ハウスの移民たちを移民局に通報して追出しを謀った。そこには以前助けたイラン人の娘たちもいるというのに。
それまでアンジーに忠告しながら引きずられて来たローズも、この期に及んでアンジーを見限って去っていく。観客もローズの気持ちと同調するところだろう。


もうひとりのアンジーの味方、父親の役のコリン・コフリンも見逃せない。港湾労働者の組合員だったそうだ。味のある暖かい演技だ。息子ジェイミーのサッカーの試合の後、しみじみアンジーに諭す言葉が胸に滲みる。


ラストシーン、ウクライナリクルートをするアンジーの姿で終わる。
ひとりになっても、後ろを振り向かないアンジー。生残るためにやったことが、他人を蹴落とすことになる。彼女は資本主義のシステムに則ってやっただけだ。でも、道義的にはどうだろう..。
原代の「It's a free world...」の「...」の部分が気になる。自由な世界だけれど、何をしてもいい、というわけではない。
アンジーはうまいことやってのけたかも知れない。でも、友人、恋人、信用、良心、平安
、多くのものを失った。

ケン・ローチは、今世界を席巻している、資本主義の非人間性を鮮やかに描き出してくれた。