またたびCINEMA〜みたび〜

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凍りついた心を解かす音楽とは?『善き人のためのソナタ』

Das Leben Der Anderen/2006/ドイツ

評判は聞いていたが、機会に恵まれず、やっとこさ名画座にすべりこんだ。
国家の体制を疑いもしなかった秘密警察のある中年男が、自由を求める芸術家カップルを監視、盗聴することによって、思いもしなかった心の変化を経験することになる。
映画が始まってしばらくは、沈うつな尋問と寡黙で退屈なヴィースラーと同僚の話で、地味な映画に慣れているとはいえ、少し不安が横切ったが、それは杞憂に終わった。ヴィースラーの心に寄り添うように、我々観客もこのカップルに惹かれていき、しだいに物語に引き込まれいった。
まだ30代の監督は(ほとんどの出演者は彼より年上)直球勝負をしてきた。その球威は鋭いが、観終わった後少しだけ物足りなさを感じた。多分余裕からくる深みのようなものがあればより良かった。
映画はクライマックスである悲劇が起こるのだが、後日談のラストに文字どおりある贈り物がある。それがこの作品にほのぼのとした暖かみを与えた。お見逃し無く。

  • 綿密なリサーチ

ベルリンの壁が崩壊する5年前から話は始まる。映画は主人公ヴィースラーの尋問場面から始まる。国民監視組織「シュタージ」のヴィースラー大尉は無表情で情け容赦ない尋問のプロである。この尋問が具体的で実にリアルである。彼が監視する脚本家ドライマンのアパートに、数人で潜り込んで盗聴装置を張巡らし、屋根裏に秘密基地を仮設する手早さといったらない。
これが初監督というフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナーズマルク(長!)は、リサーチに4年もの長さを費やしたそうだ。映画の出演者やスタッフにも東ドイツ出身者がいて、シュタージを初めとする東ドイツの内幕を実にリアルに描いている。

  • 魅力的な出演者

何と言っても、主人公ヴィースラを演じたウルリッヒ・ミューエが素晴らしい。終始一貫して無表情なのだが、何故か観客を納得させてしまう。数日前、訃報がつたえられたが、我々は貴重な才能を失った。

無味乾燥なヴィースラの人生に偶然訪れた、ブレヒトの詩集と音楽。ブレヒトはドライマンの部屋から拝借したもの。音楽は、ドライマンの仲間で、何年も活動を禁じられている演出家から贈られた楽譜。その曲をドライマンがピアノで演奏し、盗聴していたヴィースラーの耳に流れて来た。映画のタイトルにもなっている「善き人のためのソナタ」である。「この曲を本気で聴いた人は悪人にはなれない」と友人が語っていた曲。
この詩と音楽は、ヴィーゼルの乾いた心に恵みの水を与えた。彼の凍った心が溶け出していく。
ブレヒトといえば、作曲家クルト・ワイルと組んで『三文オペラ』に代表される、自堕落で反体制的な芝居を書いた有名なドイツの作家である。ナチスを嫌ってアメリカに渡ったものの、赤狩りの犠牲になりそうになり、東ドイツに舞い戻った。自由の無い東ドイツであのブレヒトがどう暮らしていたのか、興味は尽きない。

  • ガブリエル・ヤルドの音楽

この映画の音楽は、私のお気に入りの作曲家ガブリエル・ヤルドが担当している。代表作は『イングリシュ・ペーシェント』、『ラ・マン』などが思い浮かぶ。最初、耳慣れたメロディ・ラインなので、クラシックのアレンジかと思っていたが、彼特有の甘過ぎず適度に胸に響く音楽だった。