またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

最期の映像が語る山本美香さんの平和への遺志

20日にシリアで銃撃戦に巻き込まれて亡くなった山本美香さんは、ビデオカメラを担いで戦場を取材するビデオ・ジャーナリストの草分けだった。
実は私は山本さんをよくお見かけしていた。私の職場の店によく買物にいらしてたのだ。
パートナーの佐藤記者と一緒の時もあり、お一人の時もあった。素顔の山本さんは、化粧っけのない美しい人だった。
失礼だが、厳つい感じの佐藤さんと小柄な山本さんでは「美女と野獣」のカップルに見えた。
たまたま駅ビルのエレベーターに山本さんとふたりだけになったこともあった。
声をおかけすることはなかったが、荻窪で買物をしている間は少なくとも危険ではないんだな、と思ったりした。


それにしても、山本さんの訃報は衝撃だった。いったいなぜ山本さんは撃たれてしまったのか?
戦場での取材はあまりに危険なため、新聞社やテレビ局は社員の派遣をしない傾向にある。そのかわりをしているのがフリーのジャーナリストだ。2004年イラクで銃撃された橋田さん、小川さん、2007年にビルマでカメラを抱えたまま息絶えた長井さんもフリーランスだった。
そんな危険を冒してまで紛争地帯に赴くのはなぜだろうか?ましてや、山本さんは女性である。2月にホムスでアメリカ人女性記者も砲弾をうけて亡くなっている。
オリンピックで世界中の目がロンドンに注がれる中、こう言っている。

華やかな祭典の陰で、日々、無辜(むこ)の人々が逃げ惑い、命を奪われ続けるもうひとつの現実にも目を向けたい。

山本美香さんの言葉は重い。

人間のモラルを打ち砕く『戦争の事実』を暗闇に葬ってはいけない。

山本さんの最期の映像には、山本さんが守りたかった子どもたちや家族への思いが、稀しくも表れている。美香さんのお父さんの言葉「あの記録は山本美香の集大成。長年ぶれなかった思い、弱者への思い、子どもへの思い。最期まで貫いた。」

世の中への扉 戦争を取材する─子どもたちは何を体験したのか

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ぼくの村は戦場だった。

ぼくの村は戦場だった。