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またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

無知は罪なのか?―『愛を読む人』

The Reader/Stephen Daldry/2008/アメリカ、ドイツ

『愛を読む人』は、数年前のベストセラー『朗読者(The Reader)』の映画化である。
この2時間余りの映画は、愛の物語であり、市民の戦争犯罪に切り込んだ問題作でもある。
特に印象的なのは、年の離れた恋人たちの間にはいつも「本を朗読する」という行為があり、それは別れと同時に中断するが、また後に復活する。
この「本を朗読してもらう」のが好きな女性は、人に知られたくない秘密があり、そのことが自らの人生を狂わせるだけでなく、図らずも戦争犯罪に加担する遠因となった。


この作品を倫理的に善しとしない批評が見受けられるが、それは狭い見方だと思う。未成年と成熟女性との情事など星の数ほどあるだろうし、教育を受けていない女性にとって、未成年と関係を持つことの違法性や、道徳から外れるといった意識は希薄だったろう。
倫理と性愛というのは、そもそも相容れない性質のものではないか?


少年マイケルは15歳。ふとした偶然から親子ほど年の離れた女性ハンナに惹かれ、彼女のアパートで密会を重ねる。毎回愛し合う度に、ハンナは本の朗読をマイケルにさせる。それが、ふたりの儀式となっていく。

  I can't live without you. The tought of leaving you kills me. Do you love me?
「君なしでは生きていけない。居なくなると考えただけで切なくなる」と若干15歳のマイケルのセリフである。女に生まれたからには、一度は恋人に言われてみたい言葉だ。マイケルがいかにハンナに夢中かがよく分かる。「愛してる?」と訊かれてもハンナは何も応えない。当惑した表情だ。果たして「愛」という概念がハンナにあったのだろうか?


監督は『リトル・ダンサー』、『 めぐりあう時間たち』のスティーヴン・ダルドリー。脚本は『めぐりあう時間たち』のデヴィッド・ヘア。今回も見事なシナリオに仕立てている。そもそも原作が上手いのだが、映画の方がより解り易くなっている。難かしいハンナ役を見事に演じたケイト・ウィンスレットは、この作品でアカデミー賞を獲得 。『タイタニック』で世に知られたが、その後着実に実力をつけてきた。後年のマイケルを演じたレイフ・ファインズは、複雑な内面を演じられる優れた俳優だ。
監督、脚本、主演ふたり、みんながイギリス人ということになる。
戦後のドイツを舞台にして、ドイツ人をイギリス人が英語で演じ、演出する。それもナチスというドイツ人にとって敏感な問題を扱っている。最初は英語じゃ興冷めではないかと危惧をした。しかもミハエルをマイケルと呼ぶなんて。しかしそれは観ているうちに気にならなくなった。若き日のマイケルを演じたデヴィッド・クロスや教授役のブルーノ・ガンツ他、脇をドイツ人俳優で固めているせいもある。もちろんロケはドイツ各地で撮影している。思ったよりもドイツ色は出ているし、テーマはある意味では人類共通である。

不運なことに、制作者のアンソニー・ミンゲラ出世作『イングリッシュ・ペイシャント』はレイフ・ファインズ主演!)とシドニー・ポラックが、相次いで昨年世を去った。監督としても高名なふたりはミラージュという制作会社を共同経営し、数多くの名作をプロデュースしてきた。『アイリス』、『ヘヴン』、『フィクサー』(ポラック最後の出演作)等、素晴らしい作品ばかりだ。『愛を読む人』の完成を見ずに亡くなって本当に残念だ。


閑話休題。法科の学生になったマイケルは、傍聴していた裁判でハンナに再会する。ハンナは戦時中ユダヤ人収容所の看守をしていたのだ。
その時初めてマイケルは、ハンナが隠し続けていた秘密を知ることになる。ハンナが文盲だということを。
ユダヤ人を虐殺した罪に問われたハンナは、筆跡鑑定を拒んだために首謀者として、より重い罪に問われる。「読み書きができない」ことを恥じるあまり、終身刑を宣告されてしまう。
ハンナは収容所でも、お気に入りの囚人を部屋に呼び本を読ませていたという。マイケルにとっては、衝撃の事実だ。ユダヤ人の女の子と自分の姿が重なる。
ハンナがマイケルの前から突然消えたのも、市電の車掌から事務職への昇進を打診されたからだ。
当時のドイツで文盲の人がどの程度いたのかは知らないが、ハンナは教育を受けられない貧しい家庭に育ったのだろう。看守になったのも、ジーメンスの工場で働いていた時に仕事があると言われて応募したのだった。特別ナチに信奉していたという訳ではない。
読み書きができる私達には、文盲の人がどういう状況に置かれるのかよく分からない。
収容所の看守たちは次々に送られてくる囚人をさばくために、ガス室送りの囚人の選別をさせられていた。裁判長に、殺す人を選んでいたのかと訊かれて、次に送られてくる囚人のために場所をつくらなければいけなかったから、と応えるハンナ。
戦後の尺度で考えれば、ハンナは冷酷に事務的な殺人行為をしていたと捉えられてしまうが、当時の彼女たちに選択肢はなかった。「あなたならどうしましたか?」とハンナに逆に訊かれた裁判長は絶句するしかなかった。
囚人たちを閉じ込めていた教会が爆撃されても、ドアを開けてユダヤ人を助けることなど思いもよらないハンナ。


考えてみると、文盲だということは、書物を通して形成される複雑な思想などに触れる機会は無いと考えられる。無知であるがゆえに、人殺しはいけないと分かっていても、命令や秩序よりも人命が尊重されるとは考えが及ばない。
裁判での証言のあまりの稚拙さに、識字者には分からない闇を感じる。
「何故ドアを開けてユダヤ人を救わなかったのか?」平和な今の感覚で問いつめては酷である。ハンナのようにユダヤ人虐殺に直接手を下さなくても、大多数のドイツ人は見て見ぬ振りをしていた。ハンナはいわば、無知であるがゆえに、ドイツ市民の罪の十字架を背負されたといえる。


「何故ハンナは殺人罪に問われることよりも文盲がばれることを恥じたのか?」
これは非識字者にしか分からない心理である。
ハンナの秘密を知ったマイケルは、ハンナを救うことが出来たかも知れないのに、どうして面会しなかったのか?
映画を観ていた時はどうして?と思ったのだが、ハンナが頑なに守ってきた秘密を暴くことがマイケルには忍びなかったのだろう。


ハンナとの秘密を守ったまま大人になったマイケルは、ある日服役中のハンナに朗読テープを送ることを思い付く。少年の日に読んだ思い出の物語だ。
テープを受け取ったハンナは、図書室から同じ本を借りて来て、独学で字を習い始める。
朗読テープを送ることは、少年のころハンナに本を読んであげたことと同様、愛の行為である、
しかし、やっと字を憶えて書いた短いハンナの手紙の返事さえ書こうとしない。出所間近のハンナに会いにいっても、握った手をすぐに引っ込めてしまう。マイケルは愛情表現に問題を抱えているらしく、親との関係はぎくしゃくし、結婚生活も破たんしている。


マイケルが出所後の生活を準備してくれたにも関わらず、ハンナは自殺してしまう。それも独房に集めた本を踏台にして首を吊るという、皮肉な最期だ。
どうして自殺したのか?明らかではないが、朗読テープがマイケルとの愛のきずなであり、生きる希望だったのではないか?
死後マイケルが訪れた時、独居部屋の壁にチェーホフの『犬を連れた奥さん』の写しが貼ってあるのを見て、涙が溢れた。愛の物語であるこの小説はハンナにとっても特別だったのだろう。


映画のラスト・シーンは、マイケルが娘を連れてハンナの墓を訪れる。あの夏の旅行でハンナが泣いていた小さな協会に、マイケルはハンナを埋葬した。幸せとは言えなかったハンナの生涯だが、死後報われた気がした。
そして、マイケルは秘めていたハンナとのストーリーを娘に語り始める。


かわいい女・犬を連れた奥さん (新潮文庫)

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朗読者 (新潮文庫)

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