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またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

母のいない「母の日」

雑感

今日は母の日である。
写真は実家近くの図書館の庭のハナミズキ。ピンクの可憐な花だ。母も毎春眺めていたはずだ。
母は晩年この図書館に足繁く通っていた。
私は実家に帰ると、図書館の大活字本が置いてある棚に行き、数冊手に取ってみる。
その多くは、目を患っていた母が借りて読んでいた小説である。
愛読していた藤沢周平が数冊ある。藤沢周平は権力の横暴を嫌い、常に弱者に暖かい目を注ぐ作家だった。
そういえばあまり意見を言わない母が、小泉首相を批判していたことがあった。弱者切り捨て政策を次々と連発する、情の無い人が嫌いだったのだろうか?
母に藤沢作品のお気に入りを聞いておけば良かった。


次兄の住む出雲を訪れた折、まだ世界遺産になっていなかった石見銀山に行った。
小雨のそぼ降る中、人影まばらな一本道はもの寂しかった。
その時母が杉本苑子の小説『終焉』の話をし始めた。江戸時代この地に赴任した代官、井戸平左衛門は、官庫を解放し、幕府の禁を破ってまで飢饉に苦しむ民を救ったが、最期は切腹で責任を取った。
坑道は閉鎖されていたが、死と隣り合わせの人夫の重労働を思うと居たたまれない気持ちがした。
その『終焉』を図書館の棚で見付けた。この本を読んだのだと思うと、感慨深かった。

  侘びしさは石見銀山雨の中              (母が詠みました)



寺山修司が作詞した「時には母のない子のように」という歌がある。
カルメンマキという国籍不詳のおねえさんが寂しそうに歌っていた。
私にとって、初めての母のいない母の日が巡って来た。
「時には」でなく、「ずうっと母のない子」になってしまった。


母がいなくなって一年あまり経った。今でも悲しくなるけれど、心の中には母が生きている。
面白かった父も、少女時代を共に過した猫のチイも、あっちの国に逝ってしまった。
でも、みんな私の中で生きている。
まるでまだ生きているかのように、父の話をしている自分に気づくことがしばしばある。
何十年も前の飼い猫の感触を、昨日の事のように憶えている。
これからも、みんな私の中で生き続けていくのだ。