またたびCINEMA〜みたび〜

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コパカバーナの海と太陽がボサノヴァのゆりかごだった―『ジス・イズ・ボサノヴァ』

Coisa Mais Linda:Historias e Casas Da Bossa Nova/2005/ブラジル

日比谷公園で心地良い小野リサボサノヴァを聴いてから、この映画が見たくなった。渋谷の単館ロードショーだったが、重い腰をあげて行って来た。観て、聴いて、すっかりいい気分になった。ボサノヴァを口づさみながら映画館を後にした。
ボサノヴァは、1950年代後半にブラジルのリオの若者達によって生まれた音楽である。その経緯を当事者であるカルロス・リラホベルト・メネスカル等が、当時の映像を交えて、貴重な体験を回想する。ふたりは高校の同級生。
私は何となく、ボサノヴァは、アントニオ・カルロス・ジョビンジョアン・ジルベルトがふたりで作り上げたのだと思っていた。実際はそんな単純なものではなかった。
古いサンバやショーロ等のブラジル音楽に飽き足らなくなっていた若者は、一緒に集い、ギターを弾いて歌ううちに、まったく新しい音楽が生まれた。ボサノヴァ界のミューズ、ナラ・レオンの海岸沿いのアパートが彼らの溜り場だった。
ジョアン・ジルベルトがバス・ルームに隠ってあのギター奏法を編出したというのは有名な話だ。ささやくように歌うのもジルベルトのやり方だった。みんながそれぞれ独自のギター奏法を生み出した。
数多くのボサノヴァを作曲したトム・ジョビンは、彼の曲がビートルズの次に多く演奏されると聞いて、「向こうは4人だからフェアじゃない」と言ったそうな。上の動画は、まだ若く痩せていたジョビンとジャズのサックス奏者ジェリー・マリガンの貴重なフィルム。ジョビンは「ワン・ノート・サンバ」を英語で歌っているし、マリガンはクラリネットを吹いてる。この映像は映画の中でも使われていた。
作詞家ヴィニシウス・ヂ・モライスという人の事は映画で初めて知った。『イパネマの娘』を始め多くの作詞をし、若者達より年上で外交官でもあった彼は、ボサノヴァの発展には欠かせない人であった。後年外交官としてフランスにいた頃、ピエール・バルー等と親交しフレンチ・ボッサの流行にも一役交った。
このふたりは残念ながら亡くなってしまったが、もうひとりの大物ジョアン・ジルベルトは存命でここ数年来日もしている。彼の功績は、ボサノヴァ独特のギター奏法とあのささやくような歌い方だろう。「聴衆が騒がしかったら、もっと小さな声で歌えばみんな耳を澄まして聴いてくれる」そうだ。なるほどね。ボサノヴァの完成形を決定づけたのはジルベルトだろう。だが、この映画には協力してくれなかったらしい。
ジルベルトとジョビンの共演。

映画は、リオの美しい海辺や町並みも写している。この土地から洗練された画期的な新しい、青春の音楽が生まれたのだと実感できた。