またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

緑の丘に流れる赤い血―『麦の穂をゆらす風』

(The Wind That Shakes The Barley/2006/アイルランド=イギリス他/カンヌ国債映画祭パルム・ドール賞)
庶民の味方ケン・ローチがまたやってくれた。イギリスの報われない労働者階級の生活を描く事の多いケン・ローチが、今回は独立前後のアイルランド南部のコークを舞台に選んだ。イギリス人のケン・ローチが、祖国イギリスが統治していたアイルランド独立戦争を撮った事で、国内では反英的行為と批判されたらしい。日本だったら自虐的と罵られる事だろう。同じく、アイルランド独立戦争を題材にしたニール・ジョーダン監督の『マイケル・コリンズ』(1996)が、独立の英雄を主人公に据えているのに対し、ローチ監督は地方の名も無い市井の人々に焦点を当て、自由獲得の為に血を流す姿を描いている。
『麦の穂〜』が撮られた事で、『マイケル・コリンズ』の影が薄くなった感があるが、こちらの映画ももちろん面白い。アイルランド人のニール・ジョーダンが、祖国の激動の歴史を見事に描き、リーアム・ニーソンが魅力的なコリンズを演じている。映画は、1916年のイースター蜂起から始まり、条約締結後の内戦までのほぼ同じ時代を、ダブリンの中央政府の立場から描いていて、両方を参考にすると尚分かりやすい。『麦の穂〜』で言及されているジェームズ・コノリーの処刑場面も『マイケル〜』に出てくる。負傷していた為椅子に括りつけられて射殺された事で、アイルランド国民の怒りを買い、抵抗運動に火がついたといわれている。また、マイケル・コリンズは『麦の穂〜』のコーク出身で、故郷の地で条約反対派に暗殺された。

独立闘争と内戦〜終わらない流血の連鎖

野原でハーリングと呼ばれるホッケーに似たゲームに興じる若者達。映画は始まって早々、暴力に見舞われる事になる。ロンドンで医師の修行をする事に決まっていたデミアンは、ゲーム後親しいペギー家を訪れていた。そこへ悪名高き治安部隊ブラック・アンド・タンズが乱入する。銃で脅し、整列させ、服を脱がせ、名前を述べさせる。ペギーの17才の孫ミホールは、英語名マイケルと名のる事をかたくなに拒否し殺される。(どこかの国でもありましたよね。)それにしても、非道なイギリス兵の振舞いにイギリス人だったら居たたまれない思いだろう。
翌日、ロンドンへ出発しようとするデミアンは、駅で列車に乗ろうとした英兵をあくまで拒否する駅員達と遭遇する。暴力に屈しない姿を見て、デミアンは故郷コークに留まり仲間と一緒に闘う道を選ぶ。
兄テディをリーダーにゲリラ戦を展開するデミアン達。敵も味方にも多くの犠牲がでる。投獄、拷問、脱獄、仲間の裏切り。闘争は過酷を極める。特に密告した幼なじみをデミアンが射殺する場面で、遺書を書けといわれも母親は字が読めないと答えるのが哀しい。
やがて、停戦が結ばれ、デミアンはゲリラ戦の支援をする仲間のシネードと結ばれる。しかし、マイケル・コリンズらが持帰った条約は、完全独立とは程遠い内容だった。この条約をめぐって、アイルランドは二分し、今度は内戦に突入した。ある意味、いままで以上に過酷な闘いである。一緒に闘っていた同士が殺し合うはめになるのだから。
映画はこの対立も丁寧に描いている。現実主義の兄テディは政府軍に加わり、貧しい人々が救われない条約に反対するデミアンは、抵抗勢力に身を投じる。やがて政府軍に捕らえられたデミアンは、兄の説得も聞入れず、兄によって射殺される。ちょうど、デミアンが幼なじみを処刑した時のように。

ジェームズ・コネリーのスピーチ

何故デミアン達が条約に反対したのか?その精神的支柱はイースター蜂起を指揮したジェームズ・コネリーのスピーチに表れている。
「明日、イギリス軍を追い払い、ダブリン城に緑(アイルランド)の旗を掲げようとも、社会共和国を組織しない限り、我々の努力は無に帰する。イギリスはその資本主義者を通して、その地主を通して、その金融家を通して、彼らがこの国に植えつけたすべての商業的で個人主義的な制度を通して、私たちを支配し続けるだろう。」(パンフより引用)
ある日、デミアンは病気の子を診て欲しいと頼まれたが、貧しい家のその小さな男の子は栄養失調だった。社会の犠牲者である。この子達に明るい未来はあるのか?
アイルランドは二分され、経済的実権もイギリスが握ったままの条約を受け入れるのか?

美しい緑の丘

昨日たまたまTVでダブリンの町が写っていた。町は小高い丘陵に囲まれていて、緑が実に美しかった。映画の舞台コークも緑の丘が印象的である。残念な事に、そこでは多くの血が流されていた。
パンフによると、映画のタイトルはアイルランドの有名な伝統歌のフレーズから採ったもので、イギリス支配への抵抗を歌っているそうだ。映画では、少年ミホールの葬儀で女性が歌っていた。
I sat with a valley green / Sat there with my true love /And my fond heart strove to choose between /The old love and the new love /The old for her,the new that made /ME think on Ireland dearly /While soft the wind blew down the gren /And shook the golden barley
緑の谷間に、わたしは腰をおろした/愛しい人と一緒だった/わたしの心は、二つの愛のあいだで引き裂かれていた/かつての愛は恋人に向けられ/そして新たな恋は/アイルランドを心から慕っていた/静かな風が峡谷をわたり/黄金色の麦の穂をゆらしていた ("The Wind That Shakes The Barley" Robert Dweyer Joyce 訳詞:茂木健)

歴史は繰り返す

この映画はイギリスからのアイルランド独立の歴史を描いているのだが、似た様な対立の構図は世界にいくらでもあったし、今でも続いている。内戦状態にあるイラクはいうまでもなく、今アフリカ諸国でも火種が絶えないようだ。
最後にケン・ローチ監督のメッセージをどうぞ!
「私は、この映画が、英国がその帝国主義的な過去から歩み出す、小さな一歩になってくれることを願う。過去について真実を語れたならば、私たちは現実についても真実を語ることができる。」

日本の指導者の中には、日本の過去の事実さえねじ曲げようとする人がいる。直視する勇気がないのだろうか?