またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

ジャーナリズムの良心を今問いたい1 Good Night, and Good Luck.


タイトルの『グッドナイト&グッドラック』は、CBSテレビのアンカーマンだったエド・マローが番組の終わりに必ず言っていた決めゼリフから採っています。(ちなみに筑紫さんは「今日はこんなところです。」)
写真は本物のエド・マローとディヴィッド・ストラザーンが扮したエド・マロー
Ed MurrowEd Murrow (David Strathairn)
(Good Night, and Good Luck./米/2005)

TBSの夜中に放送しているCBSドキュメントでも、最近エド・マロー特集を組んでましたね。映画を見て、CBSの60ミニッツ等の番組の質の高さの秘密は、彼と彼のチームによって築かれた精神にあり、それが脈々と受け継がれて来たんだなと感じました。
監督のジョージ・クルーニーは、マロー役の俳優にはそっくりさんは使わないと言っていたようですが、結構似てますよね。ディビッド・ストラザーンはマローを研究したそうですが、魂が乗移った様な気迫のある演技です。驚いたのは、いつもひっきりなしに吸っている煙草ですが、放送中も燻らしてたんですね。マローはたぶん煙草の所為で、後年若くして亡くなっています。

舞台はマッカーシズムが全米を席巻していた1953年から翌年にかけて。共産主義に対する恐怖を煽って、理不尽に個人攻撃をしていたマッカーシーらの権力に対して、マローとスタッフ達は敢然と闘いを挑みました。その放送現場は、緊迫したスリリングさに充ちたものでした。

スタイリッシュな映像と音楽
映画を見ながら、マッカーシーを演じる俳優は誰だっけ?と思ってたところ、本物がご登場。彼が出ている当時のニュースフィルムをそのまま使用したために、他の演出部分もモノクロに統一。これが功を奏して50年代の雰囲気を醸し出すのに成功しています。
スタイリッシュな映像に、これまた添えられる音楽が50年代の懐かしいジャズ。バックミュージックは使わずに、バンドがスタジオで生演奏しているという設定で、ダイアン・リーヴスが50年代風に唄っています。曲のアレンジは当時から活躍していたシンガーのローズマリー・クルーニージョージの叔母さん)が担当し、バンドも彼女のバックバンドだそうです。

マッカーシーとの対決
エド・マローは、ラジオ時代から第二次大戦中のロンドン空襲の実況をする等、放送ジャーナリズムを確立したといわれています。ディレクターのフレッド・フレンドリー(ジョージ・クルーニーが演じています)とコンビを組んで、「See it Now」を製作。報道のCBSの看板番組を制作していきます。
一方1950年、共和党ジョセフ・マッカーシー上院議員は「国務省内に205名の共産主義者がいる」と発言し、反共キャンぺーンという魔女狩りを押し進めます。現在だけでなく、過去に少しでも疑わしい活動や会合に出席しただけの人でも、職を追われ、収入を断たれました。
1953年、マロー達は地方紙の小さな記事から、家族が共産主義者と云う疑惑だけで除隊処分になりかかっている空軍兵の問題を取りあげることに決めました。放映の直前に、話を嗅ぎ付けた軍の上層部が面会にやってきます。そんなことには怯まずに番組を放送し、多くの視聴者の賛同を得る事に成功します。(数年前に日本でも公共放送で似たような事がありましたっけ。あの時は内容を編集したんですよね。)
マローは、これまでのマッカシーの発言や、議会での喚問のやりとり等をそのまま放映しました。特に、アニー・リー・モスという国務省暗号室勤務の黒人女性を、共産主義と機密流失の疑惑で証言させようと躍起になっている彼の姿は滑稽でした。全く証拠がないなかで、証人との話は噛み合ず、堪らずマッカーシーは急用とかで席を立ってしまいます。誰の目にも彼女が疑惑とは無関係だと明らかでした。
マローは、マッカーシーに反論させるために番組一回分を提供しました。多分それまで一般の人はマッカーシー本人をちゃんと見た事がなかったと思われ、内容も然ることながら、彼の薄い髪や意地悪そうな目など、決してハンサムとは云えない外見も、人々が彼を見捨てて行く切っ掛けに成ったんじゃないかと推測します。
マッカーシー糾弾の番組はわずか4回のみで、54年の12月には、上院でマッカシーに対する問責決議が採択され、マッカーシズムも沈静化していきました。
しかし、マローとスタッフがこの闘いに挑むには、大変な勇気と葛藤が必要でした。その当時、マッカーシーは50%以上の支持率を持ち、絶大な権力を誇っていました。スポンサーは尻込みし、上層部からの圧力もありました。マローは職を辞する覚悟で放映に踏切りました。
マッカーシーに勝利した後も、スポンサーは手を引き、それまでマローの後見人だったCBSの会長ペイリーも難色を示す様になり、番組短縮とスタッフの削減を言い渡します。数年後、マローは活躍の場を失いCBSを去ることになります。

ハリウッドの赤狩り
ハリウッドテンに代表される、映画人に対する弾圧についてもすこし触れておきたいと思います。1947年10月、マッカーシーの上院ではなく、下院の非米活動調査委員会はハリウッドの共産主義者と疑われる者の喚問に着手します。黙秘権を行使して議会侮辱罪に問われた10人の映画人が、有罪となり投獄されました。そればかりでは無く、財産は没収され、映画界から追放されました。
その後、エリア・カザンの様に罪を認めて仲間の名前を提供する事で生き残った者や、チャップリン等海外へ活動の拠点を移す者もいました。
赤狩りが題材となった映画)
真実の瞬間(とき)

(参考文献)陸井三郎著ハリウッドとマッカーシズム
眠れない時代

マローの遺言
この映画は、エド・マローの報道番組制作者協会のパーティでのスピーチが、冒頭と最後に出てくるサンドウィッチ形式になっています。この商業主義に毒されたテレビ業界に警告を発する演説は、50年後を経た今も耳に痛く響きます。再び、世界はイラク問題等で言論の危機に瀕しています。
冷戦時代の赤狩りは、マロー達の放送が契機となり、人々は正気を取り戻しました。今回、我々はこの危険な流れをせき止め、平和な社会を取り戻すことができるのでしょうか?