またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

わたしが一番きれいだったとき

ところで、長岡空襲があった8月1日の夜、私の母は隣接する見附市にいて隣の火事を見ていたそうだ。
「花火のように奇麗だった」と聞いた憶えがある。


今年の6月末、世田谷文学館茨木のり子展を観に行った。
この看板の写真。美しい人だ。凛としたという形容がふさわしい。姿も心も。撮影者は谷川俊太郎氏。

茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」を初めて読んだとき、母のことだと思った。
茨木のり子さんと私の母は大正14年生まれの同い年である。二十歳前後の一番楽しいはずの青春時代は戦時中だった。母は何故か生涯化粧をしない人であった。


>>わたしが一番きれいだったとき 

                茨木 のり子


わたしが一番きれいだったとき/街々はがらがら崩れていって/とんでもないところから/青空なんかが見えたりした


わたしが一番きれいだったとき/まわりの人達がたくさん死んだ/工場で 海で 名もない島で/わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった


わたしが一番きれいだったとき/だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった/男たちは挙手の礼しか知らなくて/きれいな眼差しだけを残し皆発っていった


わたしが一番きれいだったとき/わたしの頭はからっぽで/わたしの心はかたくなで/手足ばかりが栗色に光った


わたしが一番きれいだったとき/わたしの国は戦争で負けた/そんな馬鹿なことってあるものか/ブラウスの腕をまくり/卑屈な町をのし歩いた


わたしが一番きれいだったとき/ラジオからはジャズが溢れた/禁煙を破ったときのようにくらくらしながら/わたしは異国の甘い音楽をむさぼった


わたしが一番きれいだったとき/わたしはとてもふしあわせ/わたしはとてもとんちんかん/わたしはめっぽうさびしかった


だから決めた できれば長生きすることに/年とってから凄く美しい絵を描いた/フランスのルオー爺さんのように ね