またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

鉛色の空の下、降りそそぐ悲しみ、灯る希望ー『海炭市叙景』

この『海炭市叙景』は、予告編を観たときからその題名の叙情的な響きと映像がとても気になっていた。

用足しを済ませ、さて映画でもと思ったが、韓国映画『息もできない』はもう既に始まっていたし、『ソーシャル・ネットワーク』は満員だった。そういえば、渋谷でやっていた『海炭市叙景』が新宿に移ってきたはずだ。青梅街道の脇のビルにある小さな映画館は、実に分かりにくいロケーションにあった。前に何回か捜し回った憶えがある。しかし、今回はとある路地に入るとポスターが目に飛び込んできた。何かの縁と思い、そのまま小さなエレベーターに乗りこんだ。
水曜日だったので当然千円だと思っていたが、笑顔の受付の人に通常料金ですと言われ、一旦断ったが思い直した。あの時そのまま出て行かなくて良かった。1700円の価値のある出来だった。


海炭市叙景』は、佐藤泰志という忘れられていた作家の連作短編を映画化している。
海炭市とは、佐藤が故郷函館をモデルとした架空の地方都市である。
その鉛色の空の下で暮らしている人々は、それぞれ問題を抱えながら精一杯生きている。

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二人だけの兄妹がこの町に暮らしている。映画は造船所で起きた事故から始まる。小学校の授業中先生に呼ばれる妹と廊下で待っている兄。何の説明もないが、事故で死亡したのは二人の父親だと分かる。
手をつないだ幼い二人の後ろ姿に耳障りな電子音が重なる。
一転、場面は布団の敷かれた部屋に変わる。鳴っていたのは目覚ましの音だった。目覚ましを止めたのは成長した妹で、妹は隣に寝ている兄を蹴飛ばして起こす。鮮やかな場面転換だ。
二人は働いていた造船所を営業不振で解雇されてしまう。その年の暮れ、年越しそばを食べ、ありたっけの小銭を掻き集め初日の出を見に山へと向かう。
その途中、上り坂の手前で兄妹は路面電車と交錯する。絵的にもとても印象的なシーンだ。映画の終幕に、再びこのシーンが視点を変えて出てくる。
山頂の日の出。顔を見せはじめた太陽に湧き立つ人々。妹は隣の兄の暗い表情に気づく。
ここで、白んでゆく下界に美しい海炭市の姿が現れる。原作では「両側から海にせばめられた細くくびれた女の腰のような街は、鮮明過ぎ、海面に浮かんだ頼りない島のように見えた」と描写されている。
この街の俯瞰図に『海炭市叙景』という題字がかぶさる。ええっ〜、やっとタイトル!長年映画を見続けてきたが、こんなに長いアバンタイトルは初めてだ。映画を見終えて分かるのだが、この映画の主役は今見下ろしているこの街そのものだ、との思いがこのシーンをタイトルバックに選ばせたのだろう。


そして、話はがらりと変わる。市街地に一軒だけ取り残された祖末な平屋に住む老婆の話だ。開発で立ち退きを迫られている。
ああオムニバスなんだとここで気づく。
妻の不貞にいらだつプラネタリウムの職員は、一人息子との接点も失いかけている。
ガス屋の2代目社長は新事業を展開してみるが業績があがらない。自分は浮気をし、再婚した妻は腹いせのように息子を虐待する。この息子は前のエピソードでプラネタリウムに通いつめていた子だ。
路面電車の運転手は、ある日道を横切る息子に気づく。息子は東京から営業で、あのガス屋に派遣されてきていた。故郷に帰ってきたのに、実家には帰らずホテル暮らしで年を越そうとしていた。


オムニバスではあるが、まったく切り離されたエピソードではない。登場人物、テレビのニュースなど少しずつ話はリンクしながら進んで行く。同じ年超しの時を、同じ雪まじりの空の下で生きるごく普通の人々の生活を描いている。
その暮らしは皆、一見して暗く悲しい。観ているこちらの心も晴れない。この映画を受け入れられない人は多いと思う。カタルシスが得られないのだから。
でも私は逆にこのお話はリアルだと感じた。登場する人々も実際にあそこにいるような気がする。
満たされない心の不安を抱えながら、この街で生きていく。兄妹は海炭ドックで遊んだ幼い日々、プラネタリウム職員は昔親子で森の中へ見にいった満天の星を、胸の奥に大事にしまいこんで..。
冒頭のエピソードの路面電車が最後にまた登場する。兄妹が横切った電車にはガス屋の父と息子、プラネタリウムの夫婦が乗っている。こころなしかみんな晴れ晴れとした表情だ。たぶん運転手はこの後妻の墓前で息子と再会する。
最後に、ショベルカーが動き回る中、家の前に座る老婆がまた登場する。居なくなっていた猫が子を孕んで戻ってきた。ねこを抱きながら、大丈夫、俺にまかせろと猫に言い聞かせるばあさん。その猫をなでる手で終幕となる。この家で子猫を産ませるんだというばあさんの気持ちが伝わってくる。微かな希望のこもったエンディングだ。
でも一番印象深い最初のエピソードで、ロープウェイに乗らずに歩いて降りると言った兄は帰ってこなかった。売店でひとり待ち続ける妹の姿が悲しい。その後テレビのニュースで兄が遭難死したことを私たちは知るのだが。映画を観終わって一緒にエレベーターに乗ったおじさんが、「美月ちゃんはどうしたんだろうねえ」と突然話しかけてきた。妹役を演じた谷村美月ちゃんのことだ。確かにふたりっきりの兄妹で、仕事もお金もなく、頼りの兄を亡くした美月ちゃんは可哀想すぎる。


詳しくは知らないが、この映画は函館出身の作家佐藤泰史の小説を映画化したいという、地元函館の人々によって企画され、多大な尽力によって製作、公開された。
俳優陣もプロの役者さんに混じって、エキストラはもちろん、主要な役も函館の市民が演じている。特に運転手を演じた西堀滋樹さんは、製作実行委員会の事務局長を努め、佐藤の同級生でもあった。
熊切和嘉監督は同じ北海道帯広出身であり、函館市民の熱い思いを力にして、佐藤泰史の遺作を見事にフィルムに焼き付けた。ジム・オルークの音楽も心に沁みる。「いい映画には必ずいい音楽がある」というのが私の持論だ。

海炭市叙景 (小学館文庫)

海炭市叙景 (小学館文庫)