またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

映画『ハゲタカ』はドラマを超えられたか?

ハゲタカ/大友啓史/2009/日本/

   誰かが言っていた。人生の悲劇はふたつしかない。ひとつは金のない悲劇。
   そして、もうひとつは金のある悲劇。世の中は金だ。金が悲劇を生む。

 
企業買収をテーマにしたドラマ『ハゲタカ』は、ホリエモンらが世間を騒がせていた当時の世相をリアルに再現した、画期的な作品だった。
評判は聞いていたが、今年ゴールデン・ウィークの再放送でたまたま見たらハマってしまった。私は数字が嫌いで、経済オンチだ。そんな私でも経済用語が飛び交い、マネーゲームに明け暮れる話の展開に夢中になった。もっとも、お金に振り回される人間模様の方にもっと惹かれたのだが。


NHKでは連日の再放送の後、アメリカに端を発した今回の金融恐慌に鋭くメスを入れる番組を放映した。それは経済オンチの私にも解り易く(少なくとも見ていた時は)俄然経済への興味を駆立てられた。おかげでサブプライム・ローンのからくりが解ったような気がする。あくまでも漠然とだが。


それにしてもNHKは侮れない。こんなCMまで作っていたのだから。ちなみに私はナナミちゃんがお気に入り。


さて、映画の方は名作ドラマを凌ぐ出来あがりだろうか?


映画はドラマシリーズの3年後という設定で、主役の鷲津政彦役の大森南朋を始め、柴田恭兵栗山千明松田龍平など主要キャストは同じ顔ぶれだ。銀行の重役の中尾彬、鷲津の部下の志賀廣太郎嶋田久作も出ている。ティムが顔を見せないのが寂しい。中尾彬が梅干しを舐めるシーンがあるのだが、いやらしいことこの上ない。


今回はハゲタカ鷲津が受けにまわり、かわりに玉山鉄二演じる「赤いハゲタカ」こと劉一華が中国系巨大ファンドを背景に、日本の自動車メーカーを買収しようとする。
ドラマでは鷲津Vs芝野の構図が、映画では劉Vs鷲津へと変化する。最初鷲津はアカマ自動車のホワイト・ナイトを買って出るのだが、劉のバックの資金力を知り、裏を掻く作戦に打って出る。その経過は本編を見て欲しい。


鷲津といえば眼鏡の奥のクールな眼差しだが、敵対する劉も眼鏡で決めている。玉山鉄二は正統派2枚目なので、眼鏡がよく似合う。それにしても、この作品の登場人物は眼鏡率が高い。みんな仕立ての良いスーツ姿で格好良く、ほぼ男だらけでうれしい限りだ。


今回は守勢の鷲津に対して、攻勢に出る劉の方がおいしい役どころだ。玉山鉄二は中国語はいまいちだそうだが(一緒に見た中国語の堪能な友人によると)、残留孤児3世という逆境を跳ね返して、のし上がっていこうとする野心の塊の男を上手く演じている。


彼のハイライト・シーンは、高良健吾演じる守山との札束をめぐる攻防だろう。狭いホテルの部屋のなかで万札が宙に舞うシーンだ。利用されたと知って守山が劉のところへ怒鳴りこんでくる。劉は守山に手切れ金として大金を渡そうとするが拒まれる。床に散らばったお金を拾えと命じる劉。ここのシーンを監督はあえて指示せずふたりに任せたそうだ。
映画の劉と守山の関係は、ドラマの鷲津と西野治の関係と重なる。
第一話で西野旅館の査定に訪れた鷲津は、松田龍平演じる息子に缶コーヒーを手渡し情報を探る。(この時可愛がっていた茶色い猫が映画でも登場する!)
同様に工場を訪れた劉は、派遣工の守山に缶コーヒーをおごり手なずけようとする。
西野は鷲津を刺し、守山は劉に屈してお金を拾う。結局劉も刺されるのだが、守山の仕業ではない。


この作品は、テレビ、映画を通してお金にこだわっている。
ドラマの幕開けは毎回、プールに浮かぶ鷲津と万札。エンディングはエミリ・ブロンテの詩にのって、お札が空から舞い落ちてくる。
第一話、憔悴しきった西野(宇崎竜童)が車に引かれる場面で、道路に散らばる小銭。
映画では前にも触れた、ホテルの部屋にばらまかれるお札。


ただ単に、お金によって人生が左右されるということを言っているわけではない。お金と人は切っても切れない関係にある。果たして、牛耳っているのは人なのか、お金の方なのか?
現実の世界では、実際の貨幣ではなく数字だけを右から左に動かした結果、バブルが崩壊した。債券までも投機の対象にするという投資ファンドの策力で、世界的不況を招いた。結局人はお金に踊らされているのではないのか?


この1、2年の間に世界は未曾有の不況に見舞われた。日本でも派遣切りで仕事と家を失う人が急増した。
『ハゲタカ』の制作チームは、最新の状況を作品に盛り込もうとして、派遣工の首切りを企業買収のメインにからめた。しかし、うまくストーリーに乗りきれていなかったような気がする。労働の空洞化は私にとっても重要なテーマなので残念だった。
全般的に盛り沢山の内容を2時間に詰め過ぎたせいか、ドラマほどしっくりこなかった。後、スクリーンでの顔のクローズ・アップは個人的に好きではない。


「昔は情の厚い男だった」と芝野が言う鷲津は、少しづつ温かさを取戻していく。倒産しかかった企業の再生を助けるようになる。
お金に隷属していては人は生きていけない。お金のために働くのは確かだが、何のために働くのか?という意義が必要だ。
「こんな時代だからこそ、夢や希望を語るリーダーが必要」と説く芝野。まったくその通りだ。政治の世界にも言えることだ。


映画で良かったと思えたのは、ファースト・シーンとラスト・シーンだ。中国のどこか荒野のまっすぐ伸びた1本道。その道を、幕開けでは赤い車が疾走し、劉のルーツ探しに訪れた鷲津が佇んで幕は落ちる。大森君の白いシャツもいい。
スクリーン上の1本道はいろんな映画に登場する、象徴的な風景だ。