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またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

ふたつの祖国を愛した女性の半生―『ベルリン あなたは私を思う』父・千田是也とわたし

演劇界の重鎮だった千田是也氏の娘のモモコさんの、父の国日本と母の国ドイツで過ごした、波乱に富んだ少女時代の回想録です。
家族だけしか知らない千田是也氏の素顔も垣間見える貴重な記録です。あまり市場に出ていませんが、7月に毎日新聞の書評に載ったせいもあり、在庫残りわずかのようです。興味ある方は、こちらへアクセスして下さい。→シアターガイド


著者中川モモコさんの娘さんは私の職場の友人で、2か月程前この本を渡されました。
感想をといわれましたが、若輩ものの私なんかがおこがましいと思いつつ、書いてみました。
私は映画一辺倒で、芝居は年に一回行けばいい方ですが、千田是也という名前は知っていました。もちろんテレビでも拝見していたと思いますが、ブレヒトとクルト・ワイルの音楽劇が大好きだったので、その翻訳者として尊敬していました。
余談ですが、1993年に来日したケルン劇場の『三文オペラ』は素晴らしかったです。ブレヒトの台詞の過激なこと!体制への反逆、饒舌な諧謔、退廃に充ちた雰囲気。日生劇場に設えた大階段を役者が昇り降りする斬新な演出も相俟って、忘れられない舞台のひとつになりました。


尚、モモコさんはこの本をドイツ語で書いたそうです。ドイツでも2002年に『Der japanische Veter(日本人の父)』の題で既に出版されていると、「まえがき」にあります。

開戦前夜の東京生活

1931年、千田是也こと本名伊藤圀夫氏は、ドイツ留学からモモコさんの母イルマさんを伴って帰って来ました。
当時、開放的だった伊藤家には受け入れられたものの、外国人はかなり珍しがられたと思います。翌年モモコさんが生まれるのですが、夫は左翼演劇活動に従事したため、度々検挙、投獄されました。
遠い異国で乳飲み子を抱えながら孤軍奮闘するイルマさんの胸中は、如何ばかりでしょう。獄中から検閲を通すため、びっしりと小さなカタカナで書かれた妻への手紙が、同情を誘います。
やがて、言葉の壁に悩みながらも、アグファ社のタイピストの仕事で高給を取るようになります。


正直なところ、お母さんのイルマさんの強さには、心惹かれました。
愛を信じて、こんな東の果ての国まで来る大胆さ。23才という若さのなせる技でしょうか。
本の中には各年代の古い写真がたくさんあって、見ていて楽しいのですが、当時のイルマさんの若くて綺麗なこと。心なしか、眼差しには強い意志が感じられます。
やっと出所してきた夫も、演劇に熱中するあまり、留守がちになります。
望郷の思いにかられた妻は、1939年帰国を決意します。


日本滞在の間には、日中戦争が始まり、2・26事件が起り、ドイツではヒトラー政権が発足しています。世界の激動の時代にこの家族も呑み込まれていきます。
とりわけ印象深かったのが、今何故か脚光を浴びている小林多喜二のデス・マスクのエピソードです。拷問死をもみ消そうとした警察に対して、友人たちが証拠を残すためにデス・マスクを取ったのです。昭和史の一場面を見る思いです。

戦渦のドイツ

戦時中のドイツで、イルマさんとモモコさんは、主にベルリンに居ましたが、戦渦を逃れて度々疎開をしました。結婚を解消した後、縁あって再婚し弟たちも生まれました。
離婚の際に日本の父から送られた荷物の中に、忍ばせていた人形がありました。
表紙の絵に描かれた人形ですが、お腹のところにドイツ語で「ベルリン、あなたは私を思う」、背中の方には「東京、私はあなたを思う」と書いてあったそうです。
本のタイトルはここから採っています。遠く離れた父の思いが込められた言葉です。


戦時中のベルリンの様子も書かれています。子供ながらもナチス政権下で生活していて、ゲーリングヒットラーを見たり、収容所の噂を聞いたりしています。
容赦ないベルリン空襲を逃げまわる経験もします。もっとも東京に残っていたところで、同じく空襲にあったでしょうね。
ナチスのせいで、ドイツは加害の方ばかり強調されますが、一般市民が被った被害もあったことは忘れがちです。空襲に関しては、日本人も共有した経験です。もちろんロンドンも。現在イラクを初め多くの国でも空爆が行われていることを忘れてはいけません。

帰国そして結婚

長らく音信不通になっていた父から帰国を勧められて、モモコさんは1952年、12年ぶりに帰国します。7才から19才の間ドイツにいたので、日本語は忘れてしまったようです。
父の圀夫さんは俳優座の看板女優岸輝子さんと一緒になっていました。
なつかしい家族、親類との再会があり、いろんな友人との出会いが待っていました。
数年後、一年程ドイツに留学し、幼なじみの従兄弟の中川晴之助氏と結婚します。
そして、友人のユリエさんが生まれるというわけです。その妹の杏奈さんは女優さんになりました。
ちなみに、ご主人の晴之助氏の父上は、高名な画家の中川一政氏です。私は向田邦子さんの本の題字を書いた人と憶えていました。


特殊な境遇ゆえに、日本とドイツで数奇な半生を送ったモモコさん。ふたつの祖国と、父と母への愛が感じられる1冊です。