またたびCINEMA〜みたび〜

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「戦争後遺症」日本―『靖国 YASUKUNI』

リ・イン監督/2007/中国・日本

他国のことをとやかく言うまえに、日本はどうなのか?
やっと見て来たドキュメンタリー映画『靖国』である。公開前はいろいろあったが、特別トラブルはないようである。公開初日は立見が出る程の盛況だったらしいが、2週間以上経った今も、レイトショーで半分位の入りだった。あの騒ぎがいい宣伝になったらしい。
「戦争後遺症」という表現は監督の言葉から引いてきた。靖国をめぐる状況を説明する言葉として、ぴったりだと思った。
 
日本にはタブーが存在する。そのひとつは天皇であり、靖国神社をめぐる問題である。両者は密接な関係がある。
それが、今まで日本人が靖国神社の映画を撮らなかった理由かどうかは分からない。
日中戦争で大きな被害に遭った中国人の監督が、日本軍国主義の精神的支柱の役割を果たした靖国神社のドキュメンタリーを撮った。李監督は完成まで10年かけて取材を続けたそうだ。力が入ってもおかしくはないが、監督はナレーションのない映像で語らせる手法を採った。そのため冷静な、客観性のある作品に仕上がったと思う。
見終わった後それぞれが答えを出すということで良いと思うが、監督の意とするところは伝わっている。

映画は、靖国刀を作る刀鍛冶の刈谷さんの取材と、8月15日に靖国神社に集結する様々な人間模様を交互に写し出す。
終戦の日(敗戦の日)の靖国神社の境内は実に騒がしく、滑稽だ。
軍服姿のコスプレ集団が次々と現れる。天皇万歳を叫ぶ者。進軍ラッパを吹く楽団。胃腸薬の正露丸(以前は征露丸、ロシアを征服の意)のテーマソングが食事の合図だと、今回初めて知った。日の丸と星条旗を掲げた小泉さん支持のアメリカ人が、警官に退場させられる際の当惑した表情がおかしい。
集会に乱入した参拝反対の若者が、男達に殴られ血を流しながら警官に連れて行かれる場面で、ある男が執拗に何回も「中国に帰れ!」と罵声を浴びせる。多分袋だたきになった男性は日本人だと思われ、攻撃する男たちの短絡さに唖然とする。彼らの中国蔑視はどんだけなの?
あの集会で司会をしていた女性は例の国会議員に似ているが、本人だろうか?

喧騒を極める神社とは対照的に、寡黙な刀匠の場面は静かでほっとする。
カメラはまず、老人の節くれだった傷だらけの手を写し出す。長年刀を作り続けて来た職人の手だ。刈谷さんは今や靖国刀を作るただ一人、最後の刀匠である。その作業は文字どおり真剣そのもので、刀を心をこめて叩き上げる。
靖国神社の御神体である日本刀は、昭和八年から終戦まで境内で作られた。それは実戦に用いられ、南京でふたりの軍人が百人斬り競争をしたとの新聞記事が紹介される。実際、
日本軍による首斬りの写真は数多く残っている。
御神体=殺人の道具という構図は、靖国神社の有り様を象徴しているといったら言い過ぎだろうか?
決して刃こぼれしない刀を誠心誠意作る刀匠。現在は美術品だが、過去は血塗られている。監督の質問に沈黙する刀匠。その表情は複雑だ。

靖国に祀られた英霊の遺族の中には、合祀取下げを願う人達もいる。
その中で、一際美しい台湾先住民の女性の訴えに心動かされる。高砂義勇軍として戦地に駆り出され戦死した、父の魂がこの神社に閉じ込められていると。台湾に連れて帰りたいと。もっともな意見である。
しかし神社側は責任者不在といって逃げてしまう。勝手にリストアップし英霊として祀っておきながら、分祠が出来ないとする神社側は説得力がない。A級戦犯を合祀した経緯も不明瞭だ。
浄土真宗の僧侶も父の合祀取下げを求めている。命の尊厳を説くべき僧侶が徴兵され、不本意ながら殺傷の前線で闘わねばならなかった。戦死した父は神道の神社に祀られ、戦後国から勲章が贈られる。遺族の怒りや悲しみは、名誉の戦死として褒めたたえることによって誤魔化される。

ラストシーン、靖国神社を上空から写していたカメラは、グルッと一回転して段々上空へと遠のいて行く。靖国神社が周囲の町並みに溶込んでゆく。
8月15日の喧騒はここまで届かない。地上の営みがちっぽけなものに見えてくる。