またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

幼い嘘、償えない罪―『つぐない』

Atonement/2007/イギリス

エンドロールが流れ出した時、分厚い小説を夢中で、一気に読み通したような、そんな気がした。
いい小説を読んだ後のように、この作品は観客の心にずしりと重いものを残していく。
青い目が印象的なブライオニー(3人の女優がそれぞれの年代を演じ分けている)は、13才のある暑い夏の日にふとした嘘をつく。偶然と嫉妬が入り交じった幼い嘘だったが、姉の恋人ロビーに取り返しのつかない、過酷な運命を背負わせてしまう。姉セシーリアとロビーは引き離され、愛に殉じた姉は家族から離れ、ブライオニーは罪の意識に苛まれていくことになる。果たしてブライオニーの罪に赦しはあるのか?


原作は、現代イギリスを代表する作家イアン・マキューアンの長編小説。あんな長い物語をよく2時間3分に収められたものだ。監督ジョー・ライトの力量に感心した。『プライドと偏見』も悪く無かったが、新作の方が素晴らしい。姉セシーリアに『プライドと偏見』に続いてキーラ・ナイトレー、メイドの息子でセシーリアと恋に落ちるボビーをジェイムス・マカヴォイ(『ラスト・キング・オブ・スコットランド』)が演じている。物語の核となる妹ブライオニーにシアーシャ・ローナン(13才)、ロモーラ・ガライ(18才)、最後に大女優ヴァネッサ・レッドグレープで締めている。

すべては一日の出来事だった

オープニングから引き込まれる。タイプライターのかなり大きな音が響いている。白い画面にタイプで打ち出されるタイトル ―ATONEMENT

タイプライターの音は続き、少女がタイプを打っている。後で晩餐の余興で演じるはずだった劇の脚本だと分かる。タイプのリズミカルな音にピアノの音が重なり、やがて音楽と一体となっていく。この間の音の演出は、導入部として見事という他ない。
タイプを打っている少女は、金髪を横分けにし、見開いた青い目は吸い込まれそうだ。

作品を仕上げた少女ブライオニーは、タイプライターから紙を引き抜くと、足早に邸内を母を探して歩き回る。
広大な庭園のある豪華な屋敷で、家族は上流階級であると分かる。
陽光が降り注ぐ、水遊びに最適な暑い日だ。30年代中頃、戦争が忍び寄ってはいたが、その日は平和そのものに思えた。
今日は兄リーオンが友人ポール・マーシャルを連れてくることになっている。父は仕事で不在。従兄弟のローラと双子の弟も、家庭の事情で滞在中だ。
戸外ではボビーが庭仕事をしている。家政婦グレース・ターナー(ブレンダ・ブレッシン!)の息子ボビーは、この屋敷でグレースに女手ひとつで育てられた。姉妹にとっては幼なじみ以上の関係だ。ボビーはタリス家の主人から可愛がられ、ケンブリッジの学費を援助してもらっている。これから医学部に進もうという将来のある好青年だ。
同じケンブリッジに通う姉セシリアとボビーの関係は、幼い頃と違い微妙な段階に入っている。
芝生に寝そべりながら、ボビーを慕っている妹は姉に問いかける。「もうボビーとは話さないの?」「話すけど、私達とは世界が違うの。」と応えるセシーリアは、ボビーへの気持ちを計りかねている。
そんな中、ブライオニーにとってはショックなことが次々と起る。たまたま窓から見てしまった噴水にいるセシーリアとボビーの姿。
花瓶に水を汲もうと行った庭の噴水で、セシーリアはボビーと接触し高価な花瓶を壊してしまう。怒ったセシーリアは水に潜り破片を拾い上げる。水から上がったビーナスの様に、下着が身体に張り付いて現れたセシリアの姿に、釘付けになるボビー。
ここはふたりが恋に落ちる切っ掛けになる重要な場面だが、ふたりの演技の緊張感が伝わってくる美しいシーンだ。
そんなふたりを目撃して面白く無いブライオニーは、所在なく庭にいるところをボビーに声を掛けられる。喜んで駆寄って行くと、セシーリアへの手紙を渡される。
盗み見た文面は、汚い言葉を含んだ、幼い少女にとっては驚きの内容だった。戯れに書いた方を間違って封筒に入れてしまったのだ。
晩餐会に招待されたボビーが、自室でセシーリアへの例の手紙をタイプする場面で、ボビーはレコードで繰り返しプッチーニのオペラ『ボエーム』のデュエットを掛ける。ロマンチックな曲は、恋をした青年の心にぴったりだ。
屋敷を訪れたボビーは、玄関に迎えたセシーリアと衝動の赴くまま書斎で情を交わす。またまたそれを垣間みてしまうブライオニー。彼女がふたりの行為を理解してないのは、その場を立ち去らないことから明らかだ。ボビーへの誤解が深まるばかりだ。

その後双子が行方不明になり、人々は総出で周辺を捜しまわる。そんな騒動の最中事件は起る。ローラが何者かに襲われたのだ。ここでまたまた登場する目撃者ブライオニー。
ブライオニーは、はっきりと犯人の顔を憶えていないのにもかかわらず、男はボビーだったと証言する。一連の出来事の後、彼女の頭の中では現実と想像が一緒くたになってしまったのだ。

双子を連れて戻って来たボビーは、即座に警察の車に乗せられ去って行った。
労働者階級の者に世間は冷たい。前途有望だったボビーの転落が始まったのだ。

過酷な運命に翻弄されるボビー

場面は光輝く夏の日とは一変して、暗く厳しい戦場へとつづく。
刑務所で3年過ごした後、ボビーは兵士となり、戦争の最前線に送られる。
セシーリアは家族と離れ看護婦となり、出征前のボビーと喫茶店で束の間の再会をする。
看護婦の制服姿のセシリアと軍服姿のロビーの仲は、どこかぎこちない。
「僕達には3年半前の書斎でのあの短い時間だけがすべてだ。」と躊躇するボビーに、愛に生きると決めたセシーリアは、ボビーの耳元に語りかける。
「Robby,Look at me,come back,come back to me.(ボビー、私を見て、私の元に戻って来て!)」
セシーリアはボビーに一枚の写真を手渡す。将来ふたりで住む海辺の小さな家が写っている。

フランスの激戦地で部隊とはぐれたボビーは、ふたりの仲間と戦地を逃走する。
そんな中、印象的なシーンがふたつある。
一面の赤いお花畑に佇むボビー。美しいものとは対角にある戦場で心安まる思いだ。
それと迷い込んだ野原には、制服姿の少女の遺体が累々と横たえられている。みんな眠っているかのようだ。ちょうどあの夏のブライオニーの年格好だ。悼ましくも美しいシーンである。ボビーの心象風景かもしれない。

赦しを請うブライオニー

成長したブライオニーは、大学には進まず、償いの気持ちから看護婦の見習いとして奉仕の道を選ぶ。
たまたま映画ニュースで、兄の友人のマーシャルが結婚すると知ったブライオニーは、彼の隣にいるローラを見て驚く。その時記憶が甦ってきた。ローラを襲ったのはマーシャルだったと。教会でのふたりの結婚式に出向いたブライオニーは、その足でセシーリアのアパートを訪れる。
アパートには束の間の休暇中のボビーもいたが、新事実もふたりの苦悩を癒すことにはならない。ひたすら赦しを請うブライオニーだが、あまりにも重い現実に苦しんだふたりには受け入られるはずもない。

ふたりの運命

最後に登場する年老いたブライオニーから、ふたりの最期が語られる。
ブライオニーは作家として成功していた。処女作となるべきだった作品を最後に書き上げて引退するという。

結局、ボビーはダンケルクの浜辺で、海辺の家の写真を見ながら、力尽きて亡くなってしまう。
この長回しで撮られた、兵士で埋まるダンケルクの浜辺は、夕日に映えて美しい。
ジャン・ギャバンとミシェル・モルガンのラブ・シーンが大写しになったスクリーンの前で、頭を抱えるボビー。映画のふたりの姿に、在りし日のボビーとセシーリアの姿を重ね合わせる。マルセル・カルネ監督『霧の波止場』のシーンだ。
姉のセシーリアも、空襲から避難していた地下鉄で、欠壊した水道管の水で溺れて亡くなった。水に浮かぶセシーリアの姿は人形のように美しい。この監督は悲劇をも美しい絵にしてしまうのが好きらしい。
最後ブライオニーは、あまりに悲しいふたりの運命を償うべく、ふたりが海辺の家で楽しそうに遊ぶ場面で締めくくった。