またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

石油というドス黒い血にまみれて―『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』


There Will Be Blood/2007/アメリカ
「良い映画は音楽も良い」というのが私の持論だが、ポール・トーマス・アンダーソン監督の新作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(どうして邦題つけないの?)の映画音楽は。近年稀に見る衝撃度だ。
3時間近くの間、圧倒されっぱなしだった。冒頭どこかの山に重なる不快な不協和音に度肝を抜かれ、台詞無しのシーンが続く。主人公ダニエル・プレインヴューという男が穴で採掘する様子が描かれる。その間、例の無気味な音楽は鳴り続ける。最後のエンド・タイトルでブラームスバイオリン協奏曲が流れてくるまで、いわゆるメロディアスな映画音楽は聞こえてこない。音楽はレイディオ・ヘッドのジョニー・グリーン。
昨今こんなに映像と音楽が絡み合った作品にはしばらく出会っていなかった。ヒッチコック作品のバーナード・ハーマンのように、音と映像の相乗効果で作品を盛り上げている。

欲の権化の石油王ダニエル・プレインヴューを演じたダニエル・デイ・ルイスが素晴らしい。彼はどんな作品でも光っているが、この石油に取り憑かれた男を演じられるのは彼しかいないだろう。監督はダニエル・デイ・ルイスが引き受けてくれなかったら、この映画を撮らなかったとさえ言っている。
彼の天敵となる説教師イーライを演じるポール・ダノは熱演しているが、ダニエル・デイ・ルイスには適わない。村の小さな教会の牧師イーライは、貧しい村人たちの尊敬を集めているが、その説教は神懸かった狂信的なものだ。現実的な欲にまみれたダニエルには相反する存在だが、イーライの欺瞞が透けて見え、お互いが唾棄すべき存在となっていく。

冒頭、事故で仲間が犠牲になる。中盤また同じ様な事故が起き、胸騒ぎする中もっと悲惨な事故が起きてしまう。ずっと観客は不安の中に放り込まれたまま最後まで持っていかれる。
その仲間の残した赤ん坊H.W.をダニエルは近くに置いて育てる。利発そうに育った少年を彼は石油の商売に利用する。だがふたりの様子は、この映画の中で唯一心安まるシーンである。ウィスキーで乳首を消毒した哺乳瓶でH.W.にミルクを飲ませるダニエル。住民説明会ではぴったりダニエルの横に付いたH.W.の誇らしげな様子。
爆発事故で吹き飛ばされ耳が聞こえなくなったH.W.を、憂とましく思い、遠ざけるダニエルだが、周りの非難めいた言動を気に病んでいる。H.W.を演じた子役のディロン・フレイジャーは素人だったそうだが、難かしい感情の起伏を鮮やかに演じ分け感心した。
H.W.を可愛がることがダニエルの唯一の良心の発露だったが、独立を切り出され、怒り心頭に達し酷い言葉をH.W.に投げかけてしまう。「お前は俺の子じゃない。籠に入ったみなし子だった。土地を買収するのに可愛い顔が必要だっただけだ。」
この後更にダニエルは酒に溺れ、堕落への道を転げ落ちて行く。

作物の育たない不毛な西部の荒野に、多くの血が流れ、文字どおり石油まみれになっていく。
冷血な男の一代記に見ているこちらの心まで凍ってくるが、結局誰も愛することがなかった男に憐憫の情が湧いてくる。


ポール・トーマス・アンダーソン監督が、ハリウッドのポルノ業界を描いた『ブギー・ナイツ』で現れた時には、ポップな音楽とともに鮮烈な印象を残したものだった。
次作『マグノリア』は主役のない群像劇で、そのスタイルで有名なロバート・アルトマン監督の影響が色濃くでた作品だった。アルトマンの遺作『フィッツジェラルド劇場で』は、病気で十分動けない監督の補佐をしたのがトーマス監督だったと聞いている。
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のエンド・クレジットの一番最後には、大きな文字でこう記された。
Dedicated to Robert Altman.ロバート・アルトマンに捧ぐ)
しかし今回の作品は群像劇ではない。トーマス監督は製作中ずっとジョン・ヒューストン監督の『黄金』を観ていたそうだ。彼はまた、新たなる地平へと旅立ったのだ。