またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

求道者の品格―『呉清源 極みの棋譜』

2006/中国/The Go Master

冬のピンと張りつめた冷たい空気を思わせる作品である。
周りの景色も、呉清源を演じるチャン・チェンのたたずまいも、囲碁の盤も碁石も、昔の日本家屋も美しい。全編漂う緊張感を感じるために、是非映画館で観て欲しい。
まだ公開間もないというのに、まばらな客席に少しがっかりし、本編のあまりの地味さと、説明をしない潔いともいえるストーリー展開に、不安がよぎった。大抵の人は戸惑っちゃうだろうな。
全編静かである。音楽も忘れた頃に流れる。登場人物も皆さん静かにしゃべる。特に主人公が寡黙である。最初気になったチャン・チェンの日本語も、セリフが少ないし、呉清源が乗り移ったかのような演技にどうでもよくなった。
冒頭、奥さんと自宅の庭でくつろぐ呉清源の姿が写される。チャン・チェンと奥さん役の伊藤歩も一緒だ。中国語と日本語で談笑している。90才になる「昭和の棋聖」といわれた人は端正な顔立ちをした、魅力的な人物である。この人の半生がこれから描かれるのだ。本物と役者が並ぶと、ふたりの容貌だけでなく、骨格も、雰囲気も似ていることに気づく。チャン・チェンは、呉清源の外見のみならず、内面から滲み出してくる純粋さも体現した。14才の『クーリンチェ少年殺人事件』の頃からチャン・チェンを見守ってきた私としては、嬉しい限りである。いつだって彼は清々しい。
呉清源が人生で追求したのは、「囲碁」と「真理」であるらしい。昭和3年日本に留学した時は、わずか14才だった。その数年後に日中戦争が勃発する。日本と中国の板挟みになり苦悩した様子が映画でも描かれる。一時帰国した中国で宗教にめざめ、日本でも新興宗教に入信する。時代の波にのまれ、信仰に救いを求めるものの、もたげてくる疑問に苦しむ。呉清源が求めたものは、実際の宗教というよりも、人生の真理であり、平和だったのだろう。その姿勢は、あくまで真摯に痛々しい程だ。
全編寒々しい映画なのだが、痛々しくもある。結核で入院した療養所では、窓が半開きで雪が降込んでくる。(病気じゃないの?)元信者の資産家の御屋敷に行った折、寒い夜更けに池に落ちて濡れねずみに。(まるで喜劇のシチュエーションに失笑!)車を降りたところでバイクに衝突。(イタッ!)このバイク事故が切っ掛けで、碁のひらめきも失う。
盟友の木谷実との有名な対局で、あまりの過酷さに木谷が鼻血を出して倒れてしまった時も、彼は碁に集中するあまり、次の一手を考えていて相手の様子が目に入らないといった風だった。浮き世離れした、なにか突抜けた純粋さを感じさせるエピソードである。チャン・チェンは、周りの大騒ぎを余所に、上向き加減で空中を見据えるという秀逸な演技を披露している。しかし呉清源は、この一件で日本人の反感を買い脅迫も受けたそうだ。
周りを固める日本の俳優たちも、監督の期待に応えてみんな好演している。田壮々監督は、俳優にセリフでなくて身体で演技することを期待しているようだ。野村宏伸が思いの外、川端康成に似ているのに驚く。座り方なども工夫したのだろう。孤独な夫を支える妻役の伊藤歩も、抑えた演技で愛を表現する。
脚本は中国第五世代の仲間アー・チョン。傑作『芙蓉鎮』も書いている。青を基調とした、硬質な映像を撮ったのは、若手のウォン・ユーという人。