またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

漱石と猫と私―「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」

文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし

文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし

夏目漱石といえば猫」というのは私の連想だが、十代の頃から漱石が好きだった。最初は例にもれず、分かりやすいストーリーと、簡潔な文章が心地良い『坊ちゃん』から入門した。『吾輩は猫である』を完読したのは、大学へ行ってからだったと思う。ちゃんと読んだ人は知っているが、滑稽話の合間に文明批評などが述べられる。子供にはちと難かしい。それでも『吾輩は猫である』の冒頭を暗唱する程好きだった。

吾輩は猫である。名前はまだ無い。/どこで生まれたか頓と見当が付かぬ。何でも暗いじめじめした所でにゃーにゃー鳴いていた事だけは記憶している

この辺までソラで言えた。高校の頃は『三四郎』にハマっていて、大学で上京してすぐ親類の伯父にどこか行きたいところはと訊かれて、三四郎池と答えた。しかし訪れる機会は十年後、東大に通う男友達に連れてってもらった。そこは手入れが行き届いてはいず、草茫茫で主の雄鶏が襲ってくるような所だった。
その後、『それから』が私のお気に入りの恋愛小説になった。
文京区谷中の路地にある通称「猫の家」と称される旧居後は、私の下町散歩探索のルートにあり、何度も通った。「漱石山房」のあった早稲田の漱石公園にも最近訪れた。
神経衰弱だった漱石が、『猫』を書くようになってから症状が安定した、というのは有名な話である。漱石は特に猫が好きだったわけでは無さそうである。ある日女中が追い出しても何度も入ってくる黒猫を、漱石はそんなに入ってくるなら置いてやれ、と言ったそうな。あるばあさんに「この猫は爪まで黒いから福猫ですよ」と言われ、それまで邪見に扱っていたのに、鏡子夫人の猫の待遇ががらっと変わったそうだ。このばあさんの予言は的中し、漱石は流行作家となった。しかし名前は付けてもらえなかった。

そんな漱石好きの私が、両国の江戸東京博物館で開催中の漱石展に行って来た。
漱石の蔵書や、手紙、学生時代のノートなど、大量の資料が展示されている。再碓認したのは、漱石の生家が名主でいい家の坊ちゃんだったこと。『坊ちゃん』のキヨのモデルは居たのでしょうか。漱石が漢文、英語に堪能だったのは知っていたが、数学、建築などの理系にも才能があったのは知らなかった。とにかく相当勉強していたのは確かだ。ロンドン留学中も大量の書籍を買い集めていた。蔵書の中に私の大好きなジェーン・オースティン著作がひとそろいあったのはうれしかった。
ミュージアム・ショップで、猫グッズを買って帰路についた。