またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

かる〜く出来ちゃいました―『タロットカード殺人事件』

Scoop/2006/イギリス・アメリカ

ウディ・アレンは、創作意欲を湧きたててくれるミューズと街に出会い、前作『マッチポイント』を久々の傑作に作り上げた。ロンドンとスカーレット・ヨハンソンである。
『マッチポイント』では、ウディ・アレンの代名詞ともいえるニューヨークではなく、ロンドンを中心としたイギリスを舞台に選び、階級社会を皮肉ったクライム・サスペンスに挑戦し、新境地を開いた。彼の作品はほとんどがコメディで、たまにあこがれのベルイマン風のドラマを撮るものの、評価は分かれた。
しかし『マッチポイント』は、人生をテニスのコードボールに喩え、ボール=人生は運次第でどっちの陣地にも転がるというシニカルなストーリーだった。シリアスドラマを装っていたが、ふたり組の警官が出てくるあたりから、ちょっとそれはないだろうという展開もあって、やはりコメディだったと私は踏んでいる。
この作品のスカーレットは、女の私でもはっとするほど妖艶で、ファム・ファタル(運命の女)を見事に演じていた。上流社会に潜り込もうとするアイリッシュ青年の設定は、『太陽がいっぱい』や、『陽のあたる場所』といった名作を思い起こす。
そんな訳で、スカーレットでコメディが撮りたかったというウディ・アレンのイギリス第二作に期待はふくらんだのですが...。
ちなみに、邦題の『タロットカード殺人事件』は、原題の特ダネという意味のSCOOPよりいい。ベタなネーミングがこのゆるい作品に向いている。ここのところ、邦題が原題そのままという例が多くはないか?昔の映画配給会社は苦心して、傑作をひねりだしたものだ。英語が氾濫しているせいもあるが、『グッド・シェパード』を犬の話だ思っている人はいない?
タロットカード殺人事件』を分類するとしたら、サスペンス・コメディだろうが、いかんせん、サスペンスの要素が非常に足りない。ぜんぜんハラハラ、ドキドキしないのだ。
コメディの方はお手の物。目をつむってたって帽子から鳩くらいは出せる。安っぽいヘタウマ奇術師シドをウディ・アレンが楽しそうに演じている。
冒頭亡くなったばかりの敏腕記者が、例のコスチューム姿の死神を船頭にした船に乗っているシーンでまず笑ってしまう。特ダネを耳にした記者は、死神の目を盗んで三途の川を泳いで現世に舞い戻る。スカーレット扮するサンドラが入れられたチャイニーズ・ボックス(姿が消える四角い箱)に現れ、世間を騒がしている連続殺人犯のネタを教える。
そこで、素人探偵シド&サンドラの誕生する。ふたりの息はぴったりだし、眼鏡をかけて早口でまくしたてるスカーレット・ヨハンソンは、昔のダイアン・キートンを思い起こさせる。
ニセ親子を演じて、大金持ちのヒュー・ジャックマン演じるピーターに接近する。
ロンドンを震撼させている娼婦の連続殺人事件は、あきらかに切裂きジャックのパロディで、必ずタロットカードが残されている。しかし、犯罪事件を扱いながら、これぽっちの暗さもないのは、天晴れといってもよい。ひたすらばかばかしく軽いのだ。影といえるにはイギリスの空模様位だろう。
最後ピーターは郊外の大邸宅にサンドラを誘い、庭園の池で愛したはずの女を溺れさせる。このシチュエーションで思い出すのは、『陽の当たる場所』だ。貧乏な彼女を捨てて、お金持ちのエリザベス・テイラーにのりかえたいモンゴメリー・クリフトだが、幸か不幸か、ボートから邪魔なガールフレンドが転落する。モンゴメリー・クリフトの方には大変な葛藤があるのだが、ヒュー・ジャックマンの方には微塵も感じられない。
前作『マッチポイント』でも妊娠して結婚を迫ったスカーレット・ヨハンソンは、上流階級の一員になった主人公から殺される。こんなところで前作を踏襲していたのね。
でもどっこいサンドラは黄泉がえる。(もう展開は読めていたけど)すっごい可愛いマイクロカー(スマート・フォーツゥというらしい)に乗ったシドが、左側通行に慣れなくて衝突してあの世行きに。最後お約束のシーンは、分かっていても笑ってしまった。