またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

悠久の大河、そして人生はつづく―『長江哀歌』

三峡好人/STILL LIFE/ジャ・ジャンクー監督/2006/中国

とにかく雄大な長江(揚子江)の存在感に圧倒された。この映画の主役と言ってもいい。長江流域の泰然とした自然に比べ、人間の営みのなんとちっぽけなことか。明日をも知れない命だが、それでも精一杯生きている姿に感動した。
『長江哀歌』は2006年ベネチア映画際で金獅子賞を受賞した。しかし、一般受けするような映画では決してない。たぶんハリウッド映画しか観ない人は、当惑してしまうだろう。地味な映画が好きな私でも、上半身裸の男達(労働者だから)ばかり出てきて、むさ苦しくてかなわないと思っていた。でもそれは杞憂に終わった。現代中国の様々な世相を投影した、スケールの大きなドラマにしだいに引き込まれていった。
数年前にジャ・ジャンクー監督の『プラットホーム』を観た時は、こんな大作を作るとは思っていなかった。よく憶えてはいないが、青春映画で、妙に印象的な映像がところどころ浮かんでくる作品だった。ホウ・シャオシェン監督の代表作が、台湾戦後史と市井の人々の生活を切り取った『悲情城市』といわれるように、この『長江哀歌』もジャ・ジャンクーの代表作になるかも知れない。

  • 国家事業に翻弄される労働者

映画の舞台は、孫文以来中国指導者の積年の夢だった三峡ダム建設で、破壊され、水中に沈む運命の古都奉節(フォンジェ)である。
長年会っていない妻と娘を捜しに山西省からやって来たハン・サンミン。妻の住所はすでに川の中で、義兄に訊いてもはっきりしないので、解体工事をしながら妻を待つことにする。
実際に長江流域では、ダムに沈む建造物を破壊している。その為に大量の労働者が投入されている。サンミンもすぐにその一員になるのだが、工事現場の仕事は過酷だ。副業で売春をしているらしい女性の夫は、片腕を失っている。チョウ・ユンファ気取りの若者は、瓦礫に埋もれて死んでいた。
サンミン自身も故郷で違法な炭坑で働いていたらしい。報酬は高いが命の保証はない。妻もお金で買った。警察が介入した時に、妻は幼い娘を連れて逃げだしたのだ。やっと捜し出した妻は、兄が船の持主に売飛ばし自由の効かない身に。娘も遠い町で働いているという。サンミンは妻を取戻す為、山西省に戻り、また危険な炭坑へと旅立った。
ここには、今報道されている中国の現実が詰っている。世界は自然保護運動の流れにあるが、中国では巨大なダムを建設し、景観が一変する程の自然破壊をしている。地方からの大量の出稼ぎ労働者も問題になっている。サンミンも妻を買ったように、人身売買も報道されている。お金に困った夫婦が赤ん坊を売るというニュースも最近あったばかりだ。中国では、人間の命が軽いのだろう。

  • 家族崩壊

もう2年も消息のない出稼ぎの夫を捜しに、やはり山西省からやって来たシェン・ホン(綺麗な人が現れてホッとした)は、終日ホコリっぽい町を彷徨う。何故か夫は羽振りがいいらしい。夫の友人の助けで、帰り間際やっと夫と再開する。夫の影に女の存在を感じて、シェン・ホン自ら離婚を切り出す。彼女の逡巡する心がこちらにも伝わってくる。
実際、離ればなれが常態化した家庭は、シェン・ホンやサンミンだけではなく、膨大な数にのぼるだろう。その期間が長期化すれば、家族の絆も危うくなる。この町出身の者も、水に沈む故郷から職を求めて他の土地へ移住していく。片腕の男の妻も、単身旅立っていく。

  • 不思議なシーン

何故かストーリーに関係ないところで挿入される、不可解なシーン。突然建物の上部がUFOの様に飛び立たったり、ツルハシを振るう労働者を後目に、白装束の男達が瓦礫の消毒を始めたりする。遠くのビルの間を綱渡りする男は、サンミンが旅立つシーンの彼方上空に現れる。深読みすれば、彼らの綱渡りのように不安定で危険な人生を象徴しているのかも。シュールだが、ユーモラスでもある。一番おかしかったのは、3人の京劇俳優があの衣装とメイクのまま、食堂でそれぞれ無言でゲームをしているシーンだ。電子音がむなしく響く。

  • 小道具

小道具の使い方も印象的だ。監督はそれぞれの章にタイトルを付けた。烟(タバコ)、酒、茶、糖(アメ)。いづれも中国の人々には欠かせない嗜好品である。
サンミンと妙に気が会った、チョウ・ユンファ好きの若者マークは、その日上機嫌で周りの仲間にアメを振舞う。サンミンに手を振りながらトラックで工事現場へ向かう姿に胸騒ぎを感じた。案の定、約束のご馳走の席に現ればかったマークは死んでいた。瓦礫の下から流れでる携帯の着メロが悲しい。
この映画の英語のタイトルは、Still Life,静物という意味だ。監督は机の上の瓶や文房具等の静物に人生の営みを投影させている。部屋の中に置かれた魔法瓶やコップや飾り物等を、ただ写している。そういえば小津作品でも、廊下のミシンや、床の間の壷等の静物のシーンを挿入していた。私達はあの壷の意味は?とか真剣に論じ合ったりしたのだった。