またたびCINEMA〜みたび〜

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使い捨てにされる兵士たち 『父親たちの星条旗』

(FLAGS OF OUR FATHERS/2006/米)
クリント・イーストウッドという人は、アンチ・ヒーローを演じ、いつも一筋縄ではいかない屈折した人物を主人公に映画を創って来た。『許されざる者』では、割切る事のできない「善と悪」をテーマに西部劇の傑作を生み出した。娯楽作品ながら常に観客に考えさせる姿勢は今回も同様だ。

今までに、たくさんの戦争映画がアメリカで作られたが、一方的な視点で捉えられていたのがいつも気になっていた。ベトナム戦争の映画に出てくるベトコン兵の描き方に、同じアジア人として人種差別を感じてしまう。『ディア・ハンター』は青春映画の傑作だが、ベトコン兵が人間とは思えない描かれ方をしていた。戦地で敵兵が鬼畜に見えるのは当然だ、との説明に納得してはいるのだが、ぜひベトナム人によるベトナム戦争映画を観てみたいと思う。その意味では、アメリカ人ではあるが、イーストウッドが日本側の視点から『硫黄島からの手紙』を撮ったことは、よくぞやってくれたとの思いである。

父親たちの星条旗』はこの写真の、アメリカの国旗をもとに話が展開していく。この勝利の宣言である旗を掲げている6人のうち、生還した3人が英雄に祭り上げられ、戦争続行に利用されていく様子を淡々と描いていく。

過酷な硫黄島の闘い

61年前、日本とアメリカは日本のほぼ最南端の周囲22kmの小さな島を巡って、死闘を繰り広げた。アメリカは日本本土攻撃の拠点として、日本は死守せなばならない最後の砦として、双方譲れない、戦争の行方を決する島であった。5日で墜ちると踏んでいたアメリカだが、ゲリラ戦に持込んだ日本軍の抵抗に合い、闘いは36日間にも及んだ。米軍側死者約6800人、日本側は総数2万2千人の兵のうち、生き残ったのはわずか1000人であった。
映画の戦闘シーンは、日本政府のOKが出なかった為、硫黄島によく似たアイスランドの島で撮ったそうだ。
上陸前、沖合の多数の艦船からの砲爆と空爆によって、米軍は島への猛攻撃を開始する。硫黄島へ向かう戦艦の上を、無数の爆撃機が島へと飛来する場面がある。空爆の開始を知って、歓喜する船上からひとりの水兵が落下する。周りは単なるハプニングと笑っていたが、救助される事無く、水面に置いていかれる。このエピソードは、これから繰り広げられる惨劇の序章に過ぎない。彼は使い捨てにされる兵隊の第一号なのだ。
戦場へ向かう船内で戦友同士がくつろぐ様子がえがかれているが、ここでは主な人物の紹介も兼ねている。見覚えのある顔ばかりではないので、なかなか憶えられないが。こういった緊張が解けた場面は妙に心に残る。女性ボーカルのけだるい歌が船内に流れているが、イーストウッドが冒頭に歌っている曲だろうか?クレジットを見逃したので、だれか知ってる人がいたら教えて欲しい。
3日間に及ぶ空と海からの猛攻撃の後、米軍は島への上陸作戦を開始する。しかしそこには日本兵の姿は無く、気味が悪い程静かだった。日本兵は島のあちこちに掘った地下壕に潜伏し、アメリカ兵を誘き寄せてから攻撃を仕掛けた。不意を突かれた米軍からは多数の死傷者が出た。
映画の戦闘場面は、凄まじい爆音と銃撃でリアルに描かれている。主人公のひとりである、“ドク”と呼ばれる衛生兵のジョン・ブラッドリー(原作者の父)は危険をかえりみず、負傷兵の叫びに応じて戦場を走りまわる。死傷者は浜辺まで持っていかれ、水揚げされたマグロの様に並べられる。生きている者は担架に、死んだ者は袋にいれられて。
ある夜一緒に塹壕に隠れていたはずの、若いイギーが行方不明になる。数日後、彼は日本兵の地下壕で、むごたらしい死体で発見される。ジョンは後々まで彼の事を忘れられないでいた。
地獄と化した硫黄島だが、島の景観は美しい。特に鉢伏山からの眺めが。
映画は、国旗掲揚で英雄となった生き残り3人のその後と、戦争中の場面が交互に入れ替わるという形で進行していく。

戦意高揚に利用される英雄達

米軍の第一目標は、硫黄島南端にある鉢伏山を攻略することだった。1945年2月23日に、その頂上に星条旗が立った。ピリッツアー賞を受賞した有名な写真は、実は2度目に掲げられたものだった。最初の旗は小さかったが、兵隊達にとっては待ちに待った快挙だった。島中が歓喜に湧く中、軍の上官が旗を欲しがった為、急遽2度目の掲揚が行われた。その様子を従軍カメラマンのローゼンタールが写真におさめ、アメリカ中の新聞の一面を飾った。国旗を掲げている兵士達の顔が写ってないのも、後々問題の一因となっていく。
2度目の星条旗を掲げた3人の生残りは、早期に母国に帰っても故郷へは帰してもらえなかった。もうすでに英雄に祭り上げられていたのだ。英雄は他に居ると言っても、聞き入れてはもらえない。長引く戦争に嫌気が差して来た国民の心を、この写真が引き戻したのだ。3人は戦費調達の国債の広告塔として、全国行脚をさせられる。
野心的なレイニーは積極的にこのツアーに協力するが、戦後周囲の熱は冷め、就職の勧誘は保古にされ、思う様な人生を送る事は出来なかった。ネイティブ・アメリカンのアイラは特に反発し、人種偏見もあって酒に溺れ、戦地に送返される。最期は酔って居留地の片隅で亡くなってしまう。ジョンはこの茶番劇に嫌々ながら参加した後、故郷に帰り葬儀会社を経営し幸せな家庭を築く。しかし終生硫黄島のことを語らなかったそうだ。

イーストウッドはこの経過を淡々と描き、決して声高に軍隊や政府を糾弾したりはしない。問題を提起してはいるが、感情を煽ったりはしていない。後は観客ひとりひとりに考えてくれという事だろう。もちろん制作者の念頭には、現在泥沼化しているイラク戦争があると思う。毎日増え続ける米軍の戦死者と、巻き込まれて死んでいく大勢のイラク市民の事を思ってしまう。人類は過去から学ぶ事ができるはず!と思うのだが..。