またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

*隅田川花火の夜に思う

大分更新さぼってて、もうみんなからあきれられてた事でしょう。少しずつ始めていきますので、なが〜い目でみてね。ねむりねこ トラ
写真のねむりねこは仕事場の近所にいる、半ノラのトラちゃん。人なつっこく、いつも道行く人になでられています。最近首輪をピンクに新調しました。いま熟睡中です。




先週の土曜日、久しぶりに隅田川の花火を見てきました。10数年前は毎年行ってたんですが、あまりの混雑ぶりに恐れをなして最近はとんとご無沙汰でした。そんな折、会場近くのマンションの屋上で花火を見ないか?という友人の誘いに乗って、のこのこ出かけていきました。
その友人の友人は、マンションの管理人で、他の居住者の方と一緒に歓声を上げながら楽しみました。一家をあげて歓待していただいて、恐縮しました。奥さんごちそうさまでした。
彼は、明日還暦を迎えるとかで、かわいい孫ふたりに囲まれて、イイチコ片手にごきげんでした。

屋上でまだ小さな子供達とすぐ近くで炸裂する花火を眺めながら、日本はなんて平和なんだろう、と思いました。
今、レバノンでは、夜空から降ってくる閃光は花火ではなく、爆弾です。両方とも遠くから見れば美しく光っていますが、片や天国、片や地獄です。カナという町でイスラエルは、多数の子供を含む民間人を殺りくしました。→livedoor ニュース
殺された人達は、イスラエルイスラムシーア派ヒズボラ間の争いには無関係であり、まったくの犠牲者です。英語では、民間人が戦闘に巻き込まれる被害の事を、collateral damageコラテラル・ダメージ) といいます。軍事用語が一般化したものですが、シュワちゃんの映画のタイトルにも使われました。日本語では、付随的被害と訳されますが、いまひとつしっくり来ませんね。

非戦闘員が戦争の被害者になるのは、今に始まった事ではありません。我が故郷長岡でも、敗戦の年の8月1日から2日にかけて、アメリカの戦闘機B29が163,000発の焼夷弾を雨の様に降らせ、1,740余名の犠牲者がでたそうです。となりの市で見物していた我母は、「花火の様にきれいだった」と申しておりました。奇しくも、長岡では毎年8月2日と3日に花火大会を開催します。3尺の打上げ花火で有名ですが、鎮魂の意味があるのかどうか良く知りません。花火は明治時代からやっていたそうですから。

いつもこういったニュースを聞いて私が思うのは、攻撃する側の想像力の欠如です。もちろん戦闘員個人は、命令を遂行しているだけなのは分かっています。ただ、エノラ・ゲイから原爆を落とした人は、自分の遥か下界では一瞬にして焼け死んだ人や、焼けただれた皮膚を引きずって彷徨い歩いている多くの人達がいた事を思って欲しいのです。
もちろん日本も、戦時中南京で虐殺した民間人の事を忘れるわけにはいきません。

人間は何人死んだかという数字よりも、具体的な被害の実態により関心を示します。被害の映像を見たりすれば尚更です。その人が小さな子供だったら無関心では居られないでしょう。
宗教的、民族的争いや、パワーゲーム、マネーゲームで、子供達の死を付随的に起こった事、多少の犠牲は仕様がないという当局者達は、その子が自分の子供や孫だったら、と想像力を働かせて欲しいのです。

ビルの屋上で、かわいい女の子と花火を見ながら平和を噛みしめた夜でした。