またたびCINEMA〜みたび〜

大好きな猫や映画の小ネタなんぞをとりとめもなくつづってゆきます

世界の果ての恋 『灯台守の恋』より


ここ数カ月お休みしていた友人のブログ「気が済むまで食べさせてくれ」が復活しました。精力的に更新しているようなので、左のリンクから遊びに入って下さいませ。

先日久しぶりにフランス映画を観て来ました。
灯台守の恋
灯台守の恋/L'Equipier/2004/仏)
男女間の機微を描かせたら、やはりフランス映画の右に出るものはないでしょう。

左の写真の奥に写っているのが、フランスで「世界の果て」とよばれるブルターニュ地方ウェッサン島のジュマン灯台です。この灯台をめぐって灯台守の家族の40年に渡る物語が展開します。
この灯台と共に生きて来た人たちの人生には、それぞれ少なからぬ波風が起きます。一方、大嵐にもびくともしない灯台は、長年人間たちの営みを黙って見つめて来ました。
観終わって、この灯台こそがこの映画の主人公であると思いました。

灯台守の娘であるカミーユは生まれ育った家を売却するために、パリから故郷の島へ帰ってきます。迎えに来た叔母とともに久しぶりに家に入ると、郵便物の中に亡くなった母宛の一冊の本を発見します。表紙にジュマン灯台が描かれている本の中には、カミーユが生まれる前の許されざる恋のいきさつが綴られていました。ここでお話は40年前に遡ります。両親がいない今、事情を知っている叔母は今と昔を繋ぐ重要な存在といえます。

ストーリーが分かってもいい、という人は「続きを読む」をクリックしてね。

時代は60年代始め、灯台守だった父親カミーユの祖父)の葬儀の日、その青年はやって来ました。
亡き父の交代要員として派遣されてきたのですが、ブルターニュ人ではない彼に島民達は拒否感を抱きます。

ブルターニュといえば、遠い昔にイギリスから逃れて来たケルト人達が流れ着いた地。いまだにケルト文化が息づき、古いブルトン語も残っているといわれます。住民達は保守的で、よそものに非寛容なところがあります。村人に溶け込む為に下手な釣りに励む神父の姿が滑稽に描かれます。

娘マベ(カミーユの母)の夫イヴァンも、よそ者で灯台守未経験のアントワーヌを受け入れようとはしません。灯台守の仲間達は露骨に嫌がらせをしますが、アントワーヌはまともに受け取ろうとせず、謎の微笑みで返します。灯台に一緒に泊まり込むうちに、そんなアントワーヌにイヴァンも心を許しはじめます、

灯台には、亡き父の愛猫だったバンコ(オペラ好きだった父がヴェルディマクベスから名付けた)が住み着ています。アントワーヌに懐き、要所要所かわいい姿をみせ、ふたりの間の緊張を解耕魍笋皺未燭靴泙后?泙燭海稜?梁減澆蓮?撚茲砲賄仂譴靴覆に瓦?磴留討魎兇犬気擦泙后

マベとイヴァンの家に居候していたアントワーヌは、マベへの気持ちに堪え切れず下宿屋に引っ越します。ここは少し唐突で、お互いの感情が高まっていくプロセスが十分描かれていません。ふたりの愛の象徴となる父手作りのアコーディオンや、缶詰工場の帰り道のちょとした口論などで察して欲しいとのことでしょうか。もう少し丁寧に描いた方が後半の苦悩が更に深まったと思うのですが。
とはいえ、恋愛映画のお約束であるお互いに交わす視線が切なさをかき立てます。とくにマベ役のサンドリーヌ・ボネールの憂いの表情が見事です。

お祭りの夜、刹那的に愛を交わしてしまい、それをマベに横恋慕する工場長に見られた事から、別れを決意したアントワーヌ。その後お話は、嵐の灯台のイヴァンとアントワーヌの対決のクライマックスへと繋がっていきます。

フランスにありながらフランスではないブルゴーニュという視点も面白いですが、時代設定もアルジェリア戦争があり、アントワーヌもその為に片手の指を失い、その屈折した思いが彼の謎の微笑みに影を落としています。
映画を観てその作品の背景にあるものに興味を持つというのは、私の昔からの倣いです。たしかスペインのガリシア地方もケルト文化が根強く残っている地だったと思います。

とにかく、観る人を選ぶ映画ではありますが、猫好きと良質のメロドラマ好きにはお勧めです。